2023年3月9日(木)

2023年3月9日(木)


『モルモン教徒、パリサイ人、福音派』

モルモン教のパンフレットで、ある特徴が称賛されていた。
勤勉、独立独行、政府の介入への抵抗だ。

モルモン教徒は何より高潔な暮らし、優れた業績、市民としての立派なあり方が、信仰を証明すると考えている。

これらの性質はいずれも魅力的ではあるが、このパンフレットを読んだとき、気にかかることがあった。
称賛されていた美徳から思い出したのが、モルモン教徒でなく、福音派だったのだ。

実際そこに書かれていた言葉は、どれも福音派の作ったパンフレットに書かれていても違和感がないものだったろう。
私たちは良き市民であること、勤勉さ、正しさ、自制心で知られることを欲していないだろうか。

ウォーカー・パーシーの『再臨』に登場するある人物は言う。
「私の周りにはクリスチャンが大勢いる。
おしなべて良い人たちで、他の人と特に違っているわけではない……。
だが、真理を手にしているなら、どうして真理を握りしめて宣伝するときに不快感をもたせられるのだろう……。
本当に不思議だ。
良き知らせが真実であるなら、どうしてそれを喜んで聞こうとする人がいないのだろう。」

最後の疑問が大きく響く。
クリスチャンは自分たちがどれほど善良であるかを指摘することにあまりに熱心で、基本的なある事実を無視しているということなのだろうか。

福音とは、大どんでん返しのものとして、悪い連中にきらびやかに起こる壮大で素晴らしいことが訪れるということである。

福音派は、「国会議事録」に聖書に基づく理論的な根拠を読み込むことに余念がなかった。
堕胎に、教育省に、煙草補助金に、最高裁の種々雑多の決定に。

それらの修正を促す大切なバランスを提案しょう。
イエスが義人と取税人のたとえ話で示そうとされたことについて、なぜもっと多くの時間をかけて教会で議論しないのか。

ある人は、自分が強盗、悪を働く者、姦淫をする者、取税人でない祝福を神に感謝し、週に二度断食し、十分の一献金を欠かさなかった。

もう一人は取税人で、道徳性が疑わしく、履歴書に見るべきものはなく、神学に対しては全くの無知だった。

一人は雄弁に祈り、もう一人は、「神様、罪人の私をあわれんでください」とだけ言った。
しかし、どちらが義人とされて天国に行っただろうか。

興味深いことに、義なるパリサイ人たちは、歴史的にほとんど影響を与えなかった。
ローマ帝国の辺鄙な一隅にいっとき生きていただけである。

ところが、イエスの弟子たち……怒りっぽく、頼りがいがなく、どうしようもないほど欠点だらけの集団は、最悪の罪人や裏切り者たちに、無償で赦しを与える福音の力に心酔した。

その弟子たちがやがて世界を変えたのである。

God Bless You!!


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