2023年3月27日(月)

2023年3月27日(月)


『イースターのスタート』

私が復活を信じるのは、ひとえに神を知るようになったからだ。
私は神が愛であることも知っているし、私たち人間が、愛する人々にずっと生きていてほしいと願っていることも知っている。

私は友人たちを死ぬに任せはしない。
会えなくなってからも、彼らは長く私の記憶と心の中に生き続ける。

どんな理由があるにせよ……人間の自由が核心にあると思うが……一人の男が人生の絶頂期にスキューバダイビングで命を落とし、教会の伝道集会に向かっていた女性が、衝突事故で炎上した車の中で息絶える星の存在を、神は許しておられる。

しかし、神はそのような破滅した星に満足してはおられないと思う。

ジョン・ダンは、「死よ、驕るなかれ」と書いた。
神は、死に勝利を得させることはないのだ。

イースターの話で、いつも興味をかき立てられる箇所がある。
イエスはなぜ、十字架刑による傷痕をそのままにしておかれたのか。

イエスならどんな復活の身体でも望みどおりにもつことができただろう。
それなのに、イエスは何よりも見て触ることのできる傷痕からそれとわかる身体を選んだ。

なぜか。
イースターの話は、イエスの手や足、脇腹の傷痕なしには不完全だろう。

人間は空想にふけるとき、真珠のようにきれいな歯としわ一つない肌をもつ、セクシーな理想的体形を夢見るものだ。
完全な肉体という不自然な状態を夢見るのだ。

しかしイエスにとっては、骸骨と人間の皮膚の中に閉じ込められることこそ、不自然な状態だった。
傷痕はイエスにとって、この星で過ごした人生の象徴であり、あの幽閉と苦しみの日々を永遠に思い出させるものだ。

私はイエスの傷痕に希望をもっている。
天国から見れば、イエスの傷痕は宇宙の歴史にかつて起きた出来事の中でも最も恐ろしい出来事を代表している。

しかし、十字架刑というその出来事さえ、イースターは記念に変えられた。

イースターがあるので、私たちの流す涙も、受ける打撃や心の痛み、亡くした友人や愛する者を思う胸の痛みすべても、いつかイエスの傷痕のように記念になる。
そんな希望をもつことができる。

傷痕は決して完全には消え去らないが、しかしもはや痛むことはない。
私たちは、新たに造られた肉体と、新たに造られた天と地をもつことになる。

新しいスタート、イースターのスタートが待っている。

God Bless You!!


a:13 t:1 y:0