2023年3月26日(日)

2023年3月26日(日)


『目に見えない衝撃』

旧約聖書の中で、忠実な信仰者は苦しみに出合うと衝撃を受けたようだ。
彼らは神が自分たちの忠実さに対して、繁栄と慰めをもって報いてくださるものと期待していた。

しかし新約聖書は注目すべき変化を見せている。

ペテロが苦しむクリスチャンたちに助言したように、「この苦しみは、神が与えてくださった務めでもあるのです。
あなたがたのために苦しまれたキリストが見ならうべき模範となられました。
この方について行きなさい」。

別の章句に、さらに私にとって思いもよらない言葉が使われている。
パウロは「キリストの苦難にあずかる」ことについて語り、「自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たし」たいと言う。

第二次世界大戦でチャプレンを務めたハリー・ボアは、大戦の最後の日々を、パシフィック・シアターで海兵隊とともに過ごした。

彼は書いている。
「第二師団は多くの活動をしたが、損失も大きかった。
しかし私は、戦争の結末を一瞬でも疑う下士官や士官に一人も会ったことがない。

勝利がそれほど確実であったなら、なぜ勝利にこれほど時間がかかったのかと問う海兵隊員にも会ったことがない。
それはただ、敵があきらめるまで重い足取りで長く苦しい道のりを歩むという問題であった。」

パウロによると、キリストは十字架で宇宙的な力に勝利を収められた。
それも、力ではなく、自己を与える愛によって打ち負かしたのである。

キリストの十字架は結末を確かなものとしたけれども、私たちには戦うべき戦いがまだ残されている。

パウロが地上におけるキリストの人生の苦しみと高揚の両方を抱きとめながら、「キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり」たいと祈ったことは重要だ。

この世で自分の取った行動の意義を完全に理解することはないだろう。
多くのことが私たちには見えないところで起きているからだ。

抑圧されている国の牧師が、平和的な抗議活動をして投獄されるとき、ソーシャルワーカーが都会のスラム街に入居するとき、夫婦が困難な結婚生活を終わらせないとき、親が疎遠になった子どもが戻って来ることを、希望を捨てず、赦す思いも失せずに待つとき、若い社会人が富と成功を約束する途方もない誘惑に抗うとき、大なり小なり、こうした苦難のすべてに深い意味があり、キリストご自身の贖いによる勝利にあずかるとの確信をもつことができる。

God Bless You!!


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