2023年3月21日(火)

2023年3月21日(火)


『イエスと燃え尽き状態』

ラサール・ストリート教会の牧師ビル・レスリーは、古い手動式ポンプの例を用いた。
ときどき自分がそんなポンプのような気がすると言った。

やって来る人はみな、手を伸ばし、力強くポンプで汲み上げる。
そしてそのたびに、ビルは何かが自分から流れ出て行くのを感じた。

そして、ついに「燃え尽き」状態になってしまった。
彼には与えるものがもう何もなかった。
干上がり、からからに乾燥しているように感じた。

この干上がった時期に、ビルは一週間のリトリートに参加した。
そしてビルの精神面の指導者となった聡明な修道女に自分の心を打ち明けた。

あなたは素晴らしい人だ、本当に犠牲的な人だ、と言って慰めてくれることをビルは期待していた。
ところが、彼女の口から出たものは、そうした言葉ではなかった。

「ビル、もしあなたの溜め池が涸れているのなら、するべきことはただ一つしかありませんよ。
もっと深いところへ行くことです。」

ビルはそのリトリートで、外への奉仕を継続するには、まず自分の心を豊かにすることであると気づいた。

イエスの地上における宣教の記録の中に、ただ一度だけ、イエスが「燃え尽き」に似た状態になられたのを見る。

ゲッセマネの園で、イエスは地面にひれ伏して祈られた。
汗が血のしずくのように地に落ちた。
その祈りはイエスらしくない嘆願の調子を帯びていた。

彼は、「自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ」とヘブル人への手紙は述べる。

もちろんイエスは、自分が死を免れるはずのないのを知っておられた。
心の内にその自覚がますます大きくなり、イエスは激しい苦痛を覚えられた。

だがゲッセマネの園で、イエスは重荷を父なる神にゆだねることで危機を切り抜けられた。
結局、イエスがお選びになったのは神の意思であった。

イエスの祈りは、「しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」という言葉に変わっていった。

その全幅の信頼の感覚、「ゆだねきる」感覚を私も欲しいと思う。
自分の仕事、自分の人生を、毎日、神へのささげ物にできるように、と祈る。

神だけが、人への愛と自己への愛の間にある滑りやすい道をうまく歩いて行けるように、私を導くことがおできになるのである。

God Bless You!!


a:22 t:1 y:0