2023年3月2日(木)
『どんな人々も』
私が出席した教会はどこでも、ある程度の多様性をもっていた。
子どものころ通っていたジョージア州アトランタの教会にいた二人の人のことを懐かしく思い出す。
母が教会学校の教師をしていて、幼い私と一緒にいられないときに、交替で私の面倒を見てくれた人たちである。
私はペイトン夫人と一緒に座るのが大好きだった。
彼女が動物の毛皮を首に巻いていたためだ。
二匹のミンクが互いの尻尾に噛みついている、けばけばしいストールだった。
礼拝の間中、私はミンクの光り輝く目や、鋭く尖った歯、柔らかい皮や、だらんとたれた尻尾で遊んだものだった。
ペイトン夫人のミンクは、退屈な説教を耐え忍ぶのに大きな助けになってくれた。
ポンスさんは首に動物を巻いていなかったが、私が知っているなかで最も優しい人だった。
ポンスさんには子どもが六人いて、子どもを膝に乗せているときが何より幸せそうだった。
とても大柄な人で、私は礼拝の間、その膝の上で寝入ることもなく、ゆったりと座っていた。
ポンスさんは私が週報に描いた絵をほめてくれたし、指を動かすと笑ったりウィンクしたりするおかしな顔を、私の手の上に描いてくれた。
ポンスさんといえばその優しさを思い出す。
そして、膝の上から見上げると鼻毛がたくさん飛び出していたことも思い出す。
もしペイトン夫人とポンスさんではどっちが好きだったのかと尋ねられたら答えに窮するが、どうしてもと言われれば、「ポンスさん」と答えるだろう。
私の父は私がわずか一歳の時に亡くなり、ポンスさんの男性としての存在は私にとって大きな慰めであった。
後に、私が成長し、世間のことがわかってくるにつれて、ペイトン夫人とポンスさんのことを知るようになった。
ペイトン夫人は、彼女の毛皮のストールが物語っていたように、金持ちだった。
家族はキャデラックの販売店のオーナーを務め、成功していた。
一方、ポンスさんは、ごみ収集車を運転し、大家族を養うだけの金をかろうじて稼いでいた。
このことがわかったとき、恥ずかしいことだが、大人だったなら、おそらくポンスさんとは親しくしていなかったであろうと思った。
私たちが同じ興味をもつこともほとんどなかったに違いない。
子ども時代に通ったイエス・キリストの教会に、この二人がいたことを、私はたいへん嬉しく思う。
今わかるのは、教会は、ふさふさのストールのペイトン夫人とふさふさの鼻毛のポンスさんの両方が、平等に歓迎される場所であるべきであるということだ。
God Bless You!!
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