2023年3月18日(土)

2023年3月18日(土)


『試写会』

〔聖金曜日の読書〕

イエスが死んだ日に地獄で起きたこと、その情景をミルトンやダンテ級の才人に描いてほしいものだ。

地獄で祝祭が始まったことは間違いない。
創世記の蛇が神のかかとに噛みつき、ヨハネの黙示録の竜がついに神の御子をむさぼり食った。

救いの使命を負って地上に派遣された神の御子は、結局ぼろぼろのかかしのようになって、十字架にぶらさげられた。

おお、なんという悪魔の勝利!
しかし、なんという短命な勝利。

歴史上、はなはだ予想外の急展開だが、サタンが悪のために良しと思ったものを、神は善のために良しとされた。
イエスの十字架の死は、完全な神と、宿命的に欠点をもつ人間とのギャップに橋を渡したのだ。

私たちが聖金曜日と呼ぶ日に、神は罪を打ち負かし、死を敗走させ、サタンに勝利し、家族を取り戻された。
その変容の行為において、神は歴史上最悪の行為を取り上げ、最大の勝利に変えさせた。

この十字架という象徴がなくならないのも不思議ではない。
イエスが、忘れてはいけないと私たちに命じられたのも不思議ではない。

十字架があるから、私は希望をもつ。
私たちは主のしもべの傷によって___奇跡によってではなく___癒される、とイザヤは言った。

神が敗北と見えるものからそのような勝利を得ることができるなら、これ以上ないほど弱りきった瞬間に強さを引き出すことができるなら、私自身が人生で失敗や困難と思われるものに見舞われたとき、神はどんなことをしてくださるのだろうか。

神と人間の関係を___何も神の子殺しでさえも___終わらせることはできない。
贖いという秘術において、あの極悪非道の犯罪が、私たちを癒す強さとなった。

致命傷を負った癒し主は、イースターに戻って来られた。
その日は、どんな傷跡も怪我も失望も、違った光の中で見られるようになる。

永遠という展望から歴史がどう見えるか、前もってちらりと見える日だ。

私たちの信仰は、信仰が終わりそうに見えたところから始まる。
十字架と空っぽの墓の間に、この世に対する希望、そしてそこに生きる私たち一人ひとりに対する希望という歴史の約束が漂っている。

God Bless You!!


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