2023年3月15日(水)

2023年3月15日(水)


『二人の裏切り者』

「ユダ」という名前は、かつてありふれたものだったが、今ではほとんど消え失せてしまった。

子どもに歴史上最も評判の悪い、裏切り者にちなんだ名前をつけたいと思う親などいない。
しかし自分でも驚いたのだが、今でも福音書を読むと、目を引くのはユダの凶悪さではなく「普通さ」だ。

福音書は、ユダが弟子の実力者グループにこの背信行為の計画を浸透させようとする潜入スパイだったとほのめかしてはいない。

それでは、ユダはどうして神の子を裏切ることができたのだろうか。
こう問いかけながらも、11人の弟子のことを考える。

ゲッセマネでイエスを置いて逃げた残りの弟子たちや、「そんな人は知らない」と中庭で詰め寄られたときに誓ったペテロ、イエスが復活したという報告を頑なに信じまいとした弟子たちのことを。

ユダの裏切り行為は、ほかの多くの背信行為と、種類ではなく程度が違っていたのだ。

ユダはイエスを裏切った最初の人物でもなければ、最後の人物でもない。
ただいちばん有名なだけだ。

日本のクリスチャン作家遠藤周作は、裏切りをテーマに多くの小説を書いている。
遠藤にとってイエスの最高に力強いメッセージとは、イエスを裏切った人々にさえ、いや、そうした人々にこそ向けられる、あふれんばかりの愛だった。

ユダが暴徒を庭へ導いたとき、イエスは彼に「友よ」と呼びかけられた。
ほかの弟子たちはイエスを見捨てたが、それでもイエスは彼らをなお愛しておられた。

イエスと同じユダヤ人がイエスを処刑した。
しかし、裸の身体を伸ばした究極の不名誉と言える格好で、イエスは自らを奮い立たせて叫ばれた。

「父よ、彼らをお赦しください」と。

ペテロとユダ。
この二人の運命ほど痛烈な違いを見せているものがあるだろうか。

二人ともイエスの弟子グループの中では指導的な立場にあった。
二人とも驚くべき出来事を見たり聞いたりした。
二人とも同じように、うろたえながら希望、恐れ、幻滅を順繰りに経験した。

危険が増したとき、二人とも自分たちの主を否定した。
二人の類似性は、そこで途切れる。

自責の念に駆られてはいても悔い改めなかったらしいユダは、自分の犯した行為のもたらした結末を受け入れ、自らの命を絶ち、最大の裏切り者として歴史に名を残した。

面目を失ったものの、なお恵みと赦しというイエスのメッセージに心を開いていたペテロは、エルサレムにリバイバルを起こすほどになり、ローマで殉教するまで伝道をし続けた。

God Bless You!!


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