2023年2月9日(木)

2023年2月9日(木)


『イエスを飼いならさないこと』

イエスをテーマにした本を執筆しながら、ことのほか強く心に思ったことがある。
私たちはイエスを飼いならしてしまったのではないか、と。

子どものころに知ったイエスは優しくて感じが良く、そのひざに乗りたくなるような人物だった。
子どもを抱きしめてくれる、テレビのロジャースおじさんに髭をつけたような人物だ。

イエスには幼い子どもたちを惹きつける優しさや思いやりといった性質が確かにあった。
けれども、ロジャースおじさんでなかったことは間違いない。

この事実を理解したのは、山上の説教を研究したときだ。

「貧しい者は幸いです。
迫害されている者は幸いです。
嘆き悲しむ者は幸いです」。

これらの言葉は人々にとって、ことわざのようにソフトに響く。
実際に貧しい人、迫害されている人、嘆き悲しんでいる人をたまたま知らなければであるが。

大都市で暖房の排気口の周りで身を寄せ合っている路上生活者たち、アムネスティー・インターナショナルが写真を公開している、拷問を受けている囚人たち、テロの被害者家族。

だれが彼らのことを幸いだの「幸運」だのと呼ぼうとするだろうか。

イエスを描いた映画の中で、最もしゃくにさわるもの、そしておそらく最も正確に描写しているものは、BBCが低予算で製作した映画『人の子』(Son of Man)に出ている山上の説教のイエスである。

ローマ兵たちが帝国への侵入者に報復しようとガリラヤの村に入るところだった。
兵士になるような年齢のユダヤ人男性らを縛り上げ、半狂乱になったその妻たちを地面に突き倒し、赤ん坊を槍で刺すような狼藉も働いた。

流血と死者への慟哭に満ちたその騒然とした場面に、燃えるような目をしたイエスが入って来る。
「わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。

うめき声をあげる人々に向かって、こう叫ぶ。

そのような嬉しくない言葉に村人たちの示した反応は、想像に難くないだろう。
山上の説教は、人々をなだめはしなかった。
人々を激高させたのである。

イエスの研究を終えたとき、私は慰められたと同時に恐ろしさも感じた。
イエスは「恵みとまことに満ちて」やって来たとヨハネは言った。
それでも私はイエスの恐ろしい面にも出会ったのだ。

それは、日曜学校では教わったことのない面だった。
自分の生活に満足してイエスのもとを離れる人がいただろうか。

イエスのそばにいて心地良かった人はほんのわずかだった。
心地良く思った人は、周囲から心地良く思われていないタイプの人だった。

福音書で出会ったイエスは、決して手なずけられるような人物ではなかったのだ。

God Bless You!!


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