2023年2月6日(月)
『過去に進む』
ある雨の土曜日、やるべき仕事をおいて映画館に行き、ナチス第三帝国を描いた『総統に従う』(Following the Fuhrer/1984年)を見た。
エルウィン・ライザー監督は、映画で、日常生活を再現しょうとしていた。
よく知られたニュース映像の合間に、ドイツで営まれていた生活の場面が活き活きと織り込まれていた。
映画は後の歴史で「明らかになること」と、日常生活で実際に起きていることとの、厚い灰色の境界線を探っている。
いま振り返ると、ナチズムの悪はその姿を大きく浮かび上がらせ、映画の中の爆撃、大規模集会、強制収容所の映像は、その悪を示している。
ところが、当時、ドイツの一般市民たちは、混乱の霧の中で迫られた、小さな平凡な選択をしながら、それらの悪に対応したのだ。
私は歩いて帰る道すがら、じっくり考えた。
私たちは悪をありふれたものとは考えたくない。
アドルフ・ヒトラーのように、実物よりも大きな邪悪なものとしたいのだ。
ヒトラーのおかげで、自分よりも酷い人間がいることを知り、誤った慰めとも言うべきものが手に入る。
かくして皮肉にも、ヒトラーの恐ろしいまでの極端さは、私たちのより小さい不寛容や偶像崇拝のかたちを矮小化させようとする誘惑になり得る。
母国の米国に考えが向かった。
今から40年後、現代のニュース映像をまさぐる映画製作者たちの目に鮮明に映るものは何だろう。
私たちは自由の光を放つ灯だろうか。
人間を抹殺できる武器をもつ文明として歴史に刻まれるのだろうか。
数十年後、毎年行われる何百万もの堕胎はどのように見えるのだろうか。
私たちの物質主義と退廃はどう見えるのだろうか。
そして私の考えはさらに内側に向かい、21世紀のエルウィン・ライザーは、私の人生のいろいろな場面を、こうした混乱した時代のニュースクリップとどうつなぎ合わせるだろうかと思った。
私は1960年代以来の無力感と呪いを感じた。
家に戻ると、冷蔵庫から厚紙の箱に入ったピザの残りを取り出し、レンジで温めた。
それから、とにかく土曜日にするべき仕事に取りかかることにした。
その日の午後は、家の窓に補修材を押しつけて過ごした。
God Bless You!!
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