2023年2月22日(水)

2023年2月22日(水)


『イエスを批判すること』

新しい指導者が波乱を巻き起こすと、敵対者たちもそれにならうものだ。

イエスは地上で途方もない主張をした。
自分を神から遣わされたメシアであると言ったのだ。

ガリラヤでイエスの人気が高まると、たちまち反対者たちが現れた。
マルコの福音書2章は、生前のイエスに反対した人たちによる三つの異なる批判を記している。

イエスは冒潰している。
律法学者たちは、罪を赦すというイエスに憤慨し、「神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか」とつぶやいた。

イエスは即座に、神だけが罪を赦すことができると認めた。
それこそイエスの言いたいことだった。

地上にいたイエスに最も強く反対したのは、旧約聖書の律法にだれよりも忠実に従う人たちだった。
彼らにとって、恐れ多いイスラエルの神が人間の身体に住まわれるなど、受け入れられることではなかった。

そして最終的に、そのような主張をしたイエスを処刑した。

(イエスを「善良な人間であり、知見のある教師」と認める今日の人々は、しばしばイエスが紛れもなく自分を神と同一視した場面を見過ごしている。
パリサイ人が当時、イエスに激しい敵意をむき出しにしたのは、イエスの言葉を正しくとらえていたからだ。
そのうえで、イエスを信じようとしなかったのだ。)

イエスの友人は評判の悪い人たちだった。
どう見てもイエスが好んだのは、いちばん品のない人たちだった。

イエスは当時の政治家や宗教指導者たちを悪しざまに言って、嫌悪させた。
その名が知られるようになってからも、世間からつまはじきにされた取税人や罪人と食事を共にした。

この奇妙なふるまいが噂を呼んでいると聞いたイエスは、こう言った。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」。

イエスは伝統に逆らった。
パリサイ人の目に、イエスの弟子たちは聖なる安息日をいいかげんに扱っているように見えた。

イエスはこう言い返した。
新しい革袋が必要な時が来た。
古い革袋の継ぎ目は擦り切れそうになっている、と。

やがてイエスは「新しい契約」を紹介する。
神は人類のために大きな変化を取りおいておられる。
そしてイスラエルの民との狭い、閉じられた契約では、そのような変化はいっさい望みようがなかった。

God Bless You!!


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