2023年2月16日(木)

2023年2月16日(木)


『試練のはしご』

ドイツ人牧師で神学者のヘルムート・ティーリケは、「米国のクリスチャンは、苦しみについて不適当な神学をもっている」と言った。

だれが異を唱えられるだろう。

それどころか、異国に侵入されたことがなく、不快な気温をエアコンで解決し、少しでも痛みがあれば薬を処方してもらいながら二百年近くも生き抜いてきた社会から、苦しみの神学が出現するなど、どうして考えられるだろう。

私は苦しみについて少なくとも五つのアプローチを聖書の中に見いだしたが、その中の一つにだけ注目すると、苦しみについて不適当な神学ばかりか、異端の神学までも打ち立てる危険性があることがわかる。

第一段階 正しく生きる人は苦しむことがない。
第二段階 善良な人は苦しみに耐えるが、必ず救い出される。
第三段階 すべてのことが働いて益となる。
第四段階 忠実な人は苦しみを求められることがある。
第五段階 聖なる無関心。

第一段階 「正しく生きる人は苦しむことがない。」
反射神経のようにして「繁栄の神学」というものがある。
だが、出エジプト記と申命記に戻って、この神学が源としている、神がイスラエルの民と結んだ契約を理解するべきである。

神は、民がご自分に従うなら繁栄することを保障された。
ところがイスラエルの民は、その契約の条件を破ったのである。

第二段階 「善良な人は苦しみに耐えるが、必ず救い出される。」
詩篇や哀歌の著者は、こう信じているようだ。
「神に自分の義を説得させることさえできれば、神は必ず救い出してくださる。
何か間違いがあるはずだ。」

そのように自己正当化する詩篇を、私は前提の詩篇と理解するようになった。
それらは、正しい人々も苦しむことがあるし、正しい人々が救われないこともあることを、国民全体が理解する助けになる。

第三段階 「すべてのことがともに働いて益となる。」
ローマ人への手紙8章28節のこの有名な言葉は、しばしば、「神を愛する人には、良いことだけが起きる」と曲解される。
皮肉にも、パウロが言わんとしたのはその逆だった。

8章のあとの部分でパウロは自分の語っている「事柄」は、苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣であることを明らかにしている。

それでもこう言っている。
「これらすべてにあっても……私たちは圧倒的な勝利者です」。

どれほどの試練も私たちを神の愛から引き離すことはできない、と。

〔2月17日へ続く〕

God Bless You!!


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