2023年2月12日(日)

2023年2月12日(日)


『神の内気』

この自制というイエスの性質、神の内気と呼んでよいほどの性質に私は驚愕した。

福音書のイエスの話を理解すると、子どものころ、米国南部のファンダメンタルな教会で触れた性質と同じものを、イエスに期待していたことに気がついた。

その教会では、息苦しく感じることが多かった。
「信じなさい、質問はするな!」

式に次々に教義が提供された。
教会は一片の疑いも差し挟ませず、奇跡や神秘や権威を振りかざした。

自分のことを偽りながら相手と話す技術も含め、「たましいを獲得する」ための巧妙な技術も学んだ。
けれども今、こういった性質はイエスの人生に一つも見いだすことができない。

教会史を正確に読むと、イエスの拒んだ誘惑に屈したクリスチャンはほかにも大勢いる。
ドストエフスキーは、大審問官の拷問部屋に荒野の誘惑を鮮やかに再現してみせた。

誘惑に逆らった神によってつくられた教会が、信仰を強制する審問を五百年も続けられたのはなぜだろう。

一方ジュネーヴの町では、もっと穏やかなプロテスタント版として、教会に通うことは義務であり、聖餐式にあずかるのを拒否することは犯罪であるとされていた。
そこでも異端者たちは火刑に処された。

恥ずべきことだが、キリスト教の歴史に見られるのは、イエスの生き方を改善しようとする、救われがたい試みだ。
教会は権力への近道を提供する政府と手を結ぶこともあった。

ヘルムート・ティーリケは、ドイツの教会がアドルフ・ヒトラーに心酔し始めたころのことを書いている。

「成功を崇めることは概して、悪魔が最も甲斐甲斐しく手をかけている偶像礼拝の形態にほかならない。
ナチス政権が誕生した1933年からの数年間、大きな成功から生じるそれとない強制や、こうした成功の影響下において、クリスチャンでさえ、だれの名によるか、どれだけ犠牲を払うかを、どんなに問わなくなるかに気づかされた。」

教会は、奇跡や神秘や権威に代表される力を知り尽くしたジム・ジョーンズやデヴィッド・コレシュのような、教会のヒトラーを育ててしまうことがある。

そして政治家やセールスマン、広告のコピーライターたちが完成した操作手段を無邪気に借用することもある。

God Bless You!!


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