2023年10月21日(土)

2023年10月21日(土)


『迫害の逆説』

海外の教会を訪れるうち、試練や苦しみに対する見方に、北米のクリスチャンと顕著な違いがあることに気がついた。
私たちは空前の快適さを享受しながら、苦しみの問題に悩まされているらしい。

懐疑論者は苦しみが信仰の重大な障害物だと言い、信仰者は懸命に苦しみと折り合いをつけようとしている。

合衆国の祈禱会では病気や癒しのリクエストが中心になることが多い。
しかし、他の国々では違う。

中国であちこちの非公認の家の教会を訪れている男性に、現地のクリスチャンが政府の非情な政策の変化を祈っているか聞いてみた。

彼は少し考えてから、中国のクリスチャンから解放の祈りを一度も聞いたことがない、と答えた。

「彼らは反対にあうのは当然と思っています。
それを回避できるとは考えることができないのです。」

そしていくつかの例を挙げた。
許可されていない教会の集会をもって、二十七年の過酷な労役に服した牧師。
出所して教会に戻ると、自分のために祈り続けた会衆に感謝した。

投獄されていた別の牧師は、妻がじきに視力を失うことを知る。
妻のもとへ急ぎたかった牧師は、刑務所長に信仰を捨てたと伝えて解放される。

しかし、すぐに深い罪悪感を覚え、再び身柄を警察に差し出した。
そして、その後三十年を刑務所で過ごしたという。

暴虐的な政策で宗教活動を認めないミャンマーも同様だ。

私をミャンマーに呼んだ人は言った。
「牧師と話すときは、信仰のために刑務所に入ったことのある方ばかりだと覚えておいてください。」

「それでは、『痛むとき、神はどこに』や『神に失望したとき』で取り上げたテーマでお話しするほうがいいでしょうか」と私は尋ねた。

「いいえ。ここの人たちはそういうことにはあまり関心がないでしょう。
信仰のために迫害を受けるのは当然と思っているのです。
あなたには恵みについて語っていただきたいと、みな思っています。
お互い仲良くやっていくための助けが必要です。」

God Bless You!!


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