2023年10月15日(日)

2023年10月15日(日)


『痛みのメガホン』

私たちや幾人かの人々は、人生の目的は快適に暮らすことであると信じている。

お腹いっぱい食べ、居心地の良い家を建て、極上の物を食し、セックスをし、良い人生を送る。
それをすべてとする。

けれども、そこに苦しみが入り込むと、生活様式が複雑になる。
見ないふりをしなければの話だが。

世界の三分の一の人間が毎晩お腹をすかせて床に就いているのに、世界はただ自分一人が楽しい思いをするために存在すると考えるのは困難だ。

若者たちが高速道路に打ちつけられている姿を目にしながら、人生の目的は良い思いをすることだなどと考えるのは難しいことだ。

快楽主義に逃げ込もうとしても、苦しみと死が待っていて、私を脅かす。
この世界しか知らないならば、人生がどれほど空しいものであるかを思い起こさせられる。

苦しみは、ときにつぶやき、ときに叫んで、人間の状態全体が病んでいるという「超越的なもののささやき」なのだ。

戦争や暴力や悲劇のある人生は、どこかが間違っている。
この世に満足したい人、人生の唯一の目的は楽しむことであると信じている人は、耳に綿を詰めて生きる必要がある。

痛みのメガホンの音量が大きいからだ。

もちろん、このような悲惨な状況を許しておられる神に歯向かうこともできるだろう。
だが、苦痛は私を神のほうへ駆り立てもする。

存在するのがこの世界だけではないという神の約束を信じることができるし、痛みに苦しむこの地上で神に従う人々のために神が完璧な場所を創っておられるという可能性に賭けることができる。

被造物であるということには困難が伴うのだ。

私たちは、自分たちが依存的な存在であることを思い起こさせる痛みや苦しみといった厄介な問題などなくても、世界を管理する力が自分に十分あると考えている。

私たちは、耳に痛みのメガホンが鳴り響かなくても、しっかりとした倫理判断を下し、正しく生きる賢さがあると考えている。

エデンの園の物語が示しているように、こうした考えは明らかに間違いである。
苦しみのない世界にいる男と女は、神に反抗するものなのだ。

だからアダムとエバの末裔である私たちには選択肢がある。
神を選ぶことも、あるいは、この世界について自分たちでなく神を責めることもできる。

God Bless You!!


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