2023年1月23日(月)

2023年1月23日(月)


『未来の報い』

ある夏、ウィクリフ聖書翻訳者のグループを、アリゾナ砂漠の質素な本部に訪ねた。
移動住宅に住む人が多く、会合は金属製の屋根がおおうコンクリートの建物の中でもたれた。

辺鄙な場所に住み、貧しく苦労の多い生活に耐える覚悟でいるこれらプロの言語学者たちの献身に、私は感銘を受けた。

彼らが特に好んで歌う歌があった。
「だからわたしはあなたを遣わす。
報われることのない労働に。
報酬もなく、愛されることもなく、求められもせず、知られることもなく仕えることに……。」

彼らの歌を聞きながら、この歌はちょっと間違っている、ここにいる伝道師たちは報われることのない労働をしようとしているのではない、と思った。

彼らはほかの報いを受けられるという展望を心に抱きながら、ある種の困難に耐えていたのだ。
この世でなければ、永遠の世において神がそれ相応の見返りを下さる、と心から信じて神に仕えていた。

朝太陽が丘の上に昇り始めたころ、林立する柱サボテンの間にくねくねと続く泥道をジョギングした。
ガラガラヘビやさそりが出てくるのではないかと、足もとばかり見ていた。

ところが、新しい道筋を通っていたある朝、私は目を上げ、まるで蜃気楼のように現れた光り輝くリゾート地を見た。

走りながら近づいてみると、オリンピック用のスイミングプールが二つ、エアロビクススタジオ、ジョギング用トラツク、青草の茂る庭、野球場、サッカー場、馬小屋が見えた。

この施設は映画スターやスポーツ選手を対象とした、ある有名な摂食障がいクリニツクのものだった。
このクリニツクは、最新式の12段階プログラムによる技法が呼びもので、博士号や修士号をもったスタッフを大勢抱え、一日あたり約300ドルの治療費がかかる。

ゆっくりとジョギングしながら、ごちやごちやと建物を寄せ集めたウィクリフ基地に戻ったが、あのきらきら輝いていた摂食障がいクリニックとの甚だしい違いを痛烈に感じていた。

一方の施設では、人々がこの世でも永遠の世でも神に仕えることができるよう、たましいを救おうと努めていた。
もう一方の施設では、人々がこの人生を楽しむことができるよう、肉体を救おうと努めていた。

この世がどちらの施設をありがたがるか、歴然としているように思われた。

八つの幸いの中で、イエスはこの人生の与える恩恵に、あまり浴することができない人々を尊んだ。
貧しい者、嘆き悲しむ者、柔和な者、飢えている者、迫告されている者、心の貧しい者に対して、彼らの奉仕は決して認められないままではない、豊かな報いを受けるだろう、と断言した。

C・S・ルイスは次のように書いている。
「実際、福音書の中の、臆面もない報いの約束と、その約束された報いが度肝を抜くようなものであるのを思うなら、わたしたちの主は、わたしたちの願望を強すぎるどころか弱すぎると見ておられるように思われます。
わたしたちは、気乗りのしない顔で、せっかく限りない歓びがさし出されているのに酒とセックスと野心とをいじくりまわしていますが、無知な子どもが海辺の休日につれて行ってくれようとの意味が分からずに、貧民窟で泥いじりを続けたがっているのに、それは似ています」。

God Bless You!!


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