2023年1月16日(月)

2023年1月16日(月)


『近道はない』

手引き、いわゆる「ハウツー」に関する質問の大半は見当違いのものだ。
ハウツー本は手っ取り早く全能の神と関わって、利益や「魔法」を欲しがる米国人に典型的な、辛抱の足りない要求だ。

近道も魔法もない。
要点が三つにまとめられるようなものは存在しない。

詩篇の記者が発見したように、ときに近く、ときに遠く、ときにあわれみに満ち、ときに忘れっぽい神と、生涯をかけて親しくなろうとする道があるだけだ。

神は導いてくださるだろうか。
導いてくださる、と私は信じている。

神はたいてい微妙な方法で導いてくださる。
私たちの心に考えを与えたり、執拗な不満感を通して語られたり、より良い選択をするよう刺激したり、誘惑という隠れた危険を示したり、ある特別の状況を設定したりすることもあるだろう。

神は今でもまぼろしを通して、夢や預言者の言葉を通して導かれるかもしれないが、そうした形式についてここで語ることはできない。
私にそのような経験がないからだ。

神は導き、実際に助けを差し出すが、私の自由まで飲み込んでしまわれることはない。

神の導きを求めて多くの人々がセミナーに足を運び、そのテーマについて書かれた書物が何千冊も売れているが、私は神の導きというこの問題自体があまりにも高く評価されすぎていると思えてならない。

このテーマに向けているのと同じくらいの注意が、聖書に向けられてしかるべきなのだ。

人類学者フロニスワフ・マリノフスキが魔法と宗教の違いを示唆している。
彼によると、自分たちの願望をかなえてもらおうと神を操作するのが魔法であり、神の意思に従うのが宗教だ。

真の導きは、魔法と似ても似つかない。
近道や瓶に入った精霊を神に与えてもらおうとする魔法とは違う。

マリノフスキの宗教の定義に従うべきである。
そうするときに、あなたとあなたの神との深い関係が生まれるだろう。

そのような関係があれば、神の導きそれ自体が目的にはならない。
信仰を養われて、神がお用いになる一つの手段になるだけだ。

God Bless You!!


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