2023年1月14日(土)

2023年1月14日(土)


『望ましくないもの』

イエスはユダヤ人だった……にもかかわらず、イエスはある意味で、ユダヤ人らしからぬ行動を取った。

神殿建築そのものが、神に向かって高く上って行くヒエラルキーの階段をユダヤ人が信じていたことを表していた。

異邦人やサマリアの人々の入ることができたのは、「異邦人の庭」だった。
壁に隔てられ、その先はユダヤ人女性だけが入ることができた。
ユダヤ人男性はさらに先に進むことができ、聖所に入れるのは祭司たちだけだった。

ユダヤ人社会は、きよさを示す段階に基づく宗教的階級制度であり、パリサイ人たちは几帳面にそれを日々強固なものとしていた。
手を洗ったり、汚れを避けたりすることについての規則はすべて、神に受け入れていただこうとするものだった。

神は、犠牲に献げるのに望ましい動物(しみのないもの)と望ましくない動物(欠陥があったり不潔なもの)を区別するリストをお作りになったのではなかったか。

神は、罪人、出血している女性、身体に奇形がある人をはじめ「望ましくない人々」が神殿に入ることを禁じられたのではなかったか。

厳格な宗教的階級制度のただ中に現れたイエスは、子どもや罪人、サマリア人とも分け隔てなく交わりをもたれた。

「きよくない」人々に触れ、またその人たちから触れられた。
ツァラアトを患う人、身体に奇形がある人、長血を患う女性、精神に異常をきたした人々や悪霊にとりつかれた人々とも触れ合った。

レビ記にある律法は、病人に触れた者が一日きよめの日をもつよう定めていたが、イエスはたくさんの人に触れて癒された。

病人や、死者とすら接触した後も、汚れをきよめるきまりを気にされることはなかった。

実際、イエスは当時の常識を覆された。
パリサイ人は、汚れた人に触れると、自分が汚れると考えていた。
けれどイエスはツァラアトに冒された人に触れても汚れることはなかった。
そしてその病の人はきよめられたのだ。

イエスの足を洗うと、「ふしだらな女」は赦され、変えられた。
イエスが慣習をものともせず異教徒の家に入ると、異教徒のしもべは癒された。

ウォルター・ウィンクが言うように、「聖なるものに感染すれば、汚れたものの感染に打ち勝つのだ」。

要するに、イエスは強調点を神の神聖さ(排他的)から神のあわれみ(包摂的)に移されたのだ。
「望ましくないものは受け入れられない」というメッセージではなく、イエスはこう宣言されたのである。

「神の国に、望ましくないものなど存在しない」と。

God Bless You!!


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