2023年1月12日(木)
『一時停止』
芸術のもつ驚くべき力を目の当たりにした日のことは、一生忘れないだろう。
ローマを訪れた初日、夜明け前に気持ちよく目が覚め、バスに乗って、バチカン市のすぐ外側を流れるテベレ川まで行ってみた。
ベルニーニの天使たちが並ぶ橋の上から日の出を眺めた。
数ブロツク先のサン・ピエトロ大聖堂へのんびりと歩いて行った。
だだつ広い聖堂内は静まり返っていたので、私のたてる靴音が美しい壁に反響した。
そこにいたのは跪いて祈りをささげる何人かの敬虔な修道女だけだった。
しばらくしてから階段をのぼって屋上に出ると、彫像を見たり、眼下の広場を見渡したりすることができた。
くねくねと続く長い行列が見えた。
観光客ではなく、ドイツからバスでやってきた200人余りの聖歌隊だった。
その行列が聖堂に入っていくと、私はミケランジェロの設計したドームのバルコニーに立った。
下を見ると、聖歌隊がドームの下で大きな円を作り、アカペラで歌い始めた。
ラテン語の歌もあれば、ドイツ語の歌もあったが、そんなことはどうでもよかった。
音響効果抜群の壮麗なドームの中で、彼らの音楽を聴いて宙に浮いていた。
両腕を挙げれば音楽そのものが身体を支えてくれるような気がした。
ミケランジェロは歴史上最も偉大な芸術家と言えるだろうが、自身の作品が信仰を忘れさせていたと後に告白している。
人生の終わりが近づいたとき、次のような言葉を記している。
ああ、芸術を私の偶像に、王にした
この異常な情熱から
私は学んできた。
それが大きな過ちをもたらすことを。
人間の欲望から何という不幸が生まれるのだろう。
この世のくだらないものが
私から大切な時間を奪ってきた。
神のことを
深く思い巡らすために与えられた時間を。
そうなのかもしれない。
けれども、ミケランジェロや彼のような人たちはその労を通して、私たちをこの世のくだらないものから遠ざけ、そうした黙想の時を与える助けをしたのである。
サン・ピエトロ大聖堂でこの一瞬、またとないこのひととき、私はこの地上では味わえないような栄えある空間の住人となっていた。
芸術がその仕事をしたのだ。
God Bless You!!
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