2022年9月15日(木)

2022年9月15日(木)


『恥となるような隠し事を捨て……。』コリント人への手紙第二4章2節


あなたは「恥となるような隠し事」、つまり明るみに出されては自分の尊厳に関わることを、きっぱり捨てただろうか。

それらを隠すのは容易である。
明るみに引きずり出されては困る思いを、だれかに対して抱いてはいないか。

そのようなものは、心に浮かんだ瞬間に捨てることである。
隠れた不正直さや狡猾さが跡をとどめないほどに、そっくり捨て去るのだ。

羨望、嫉妬、敵対心は、必ずしも罪の性質から生まれるとは限らない。
過去においてそのようなことに馴染んできた肉性からも出てくるのである。
自分が恥じ入ることにならないように、気をつけなければならない。

「ずる賢い歩みをせず」。

これは自分の主張を通すために策を弄しない、という意味である。
恐ろしい罠である。

神があなたに許された方法は一つしかないことをあなたは知っている。
それは正直であることである。

それゆえに、人の油断に乗じて人を欺いてはいけない。
もしそのようなことをすれば、神はあなたの人生を不毛なものにされることだろう。

あなたから見ればずる賢いことでも、そうは思わない人もいるかもしれない。
それは、神があなたをもっと高い基準に召されたためである。

自分にできうる最善を、神の最高の栄光のために献げる、という決意を決して鈍らせてはならない。
あなたが、最高でも最善でもない目的のために、ずる賢いことを行えば、神に与えられた動機は鈍くなる。
事実、少なからぬ人々が神の視点から物事を見るのを恐れたために、その信仰が後戻りしてしまった。

すでに受け入れている信念から少しでもはみ出なければならないと思うときに、最大の霊的危機はやって来るのである。

God Bless You!!


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