2022年9月1日(木)

2022年9月1日(木)


『あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである。』ペテロの手紙第一1章16節


人生の目的とは何か、繰り返し自分に言い聞かせなければならない。

私たちは幸福になるように定められてはいないし、健康になるように定められてもいない。
聖なる者となるように定められているのである。

今日、私たちはあまりにも多くのことに興味や関心を持ち、そこに人生の時間を注ぎ込んでいく。
その多くはまっとうで尊く、良いものかもしれない。
しかも所期の目的が達成できるかもしれない。

しかしそのかたわらで、神はそれらの重要度を引き下げようと腐心しておられる。

人にとって一番肝心なことは、自分を聖なる者にしてくださる神を受け入れるかどうかである。
いかなる代価を払うことになっても、人は神と正しい関係を持たなければならない。

そもそも私は、自分が聖くされなければならない、と心から思っているだろうか。
神には私を聖くすることができる、と信じているだろうか。

説教を聞いて、自分が聖くないことを自覚すると、私はかえってその説教を腹立たしく思うことだろう。
福音は人の罪深さを示さずにはいないからである。

しかし、福音はそれと同時に、私の心に聖さへの激しい渇きと願いを起こす。
神が人間のために用意された定めはたった一つしかない。
それは聖さである。

神の目標は聖徒を生み出すこと以外にはない。

神とは、人間にとって使い勝手の良い、永遠に祝福を与え続ける装置などではない。
また神が人を救いに来られたのも、人間を不憫に思われたからではない。
神が来られたのは、もともと神が私たちを聖い存在となるように創られたからである。

贖いとは、イエス・キリストの死によって、神がご自身との完全な調和に私を戻すことができるということである。
もはやそこには神と私を隔てるものは何一つない。

自分や他の人の弱さに同情するあまり、聖なる神にふさわしくない習慣や行動を大目に見る、というのはあってはならないことである。

聖さとは、汚れなき歩み、汚れなきことば、汚れなき思いそのものにほかならない。
生活していくうえで、どんな些細なことでも、神の目を逃れることはできないのである。

聖さとは、神からの賜物というだけではなく、私を通してそれがはっきり示されることも含まれるのである。

God Bless You!!


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