2022年8月13日(土)
『御霊を消してはいけません。』テサロニケ人への手紙第一5章19節
御霊の声は夏のそよ風のように優しく吹いて来るので、神との完全な交わりの中にあるのでなければ、決して聞こえることはない。
御霊が警告し抑止しておられるという感覚も、そうっとやって来る。
そのため、御霊の声に対する感受性が鈍ければ、うっかり無視してしまい、霊的生命に変調がもたらされかねない。
御霊が何かを押しとどめる際も、「かすかな細い声」によることが常なので、神の聖徒でなければ気づかないほどである。
さて、あなたが個人的な証しをする際に、「かつて、といっても、それもずいぶん前の話だが、私は救われた」と言って、何度も過去の過ぎ去った話をすることがあるとしたら、それは厳に慎まなければならない。
あなたが「鋤に手をかけ」光の中を歩いているなら、「うしろを見る」必要はどこにもなく、すでに過去の出来事は、神と一つになったという現在の奇跡の中に注ぎ込まれているわけである。
もしその光から外に出てしまうと、あなたは過去の思い出に浸るだけの感傷的なクリスチャンとなってしまい、あなたの証しは金属音のように冷ややかなものになる。
今は、「光の中を歩む」ことを拒否しながら、たしかに光の中を歩んでいた時の過去の記憶を思い出して、今の自分を取り繕うことは厳に慎まなければならない。
御霊が、あなたを抑制しようとしておられることを感じたら、いつでも歩みを止め、問題を修正しなければならない。
さもないと、気づかないうちに、いつまでも御霊を消し続け、悲しませることになる。
神があなたを危機に直面させ、完全とは言えないまでも、あなたがそれにほぼ耐えたとしよう。
すると神はまたしても危機をもたらす。
しかし、二回目ともなれば、以前ほどの危機感はない。
そこで神に従わないで事をすませようとする。
その結果、判断力は低下し、一層恥をかくことになる。
このように御霊を悲しませ続けていくと、危機そのものも、やがて到来しなくなる。
御霊を完全に消してしまったためである。
しかし、その反対に危機を最後まで耐え抜けば、あなたの人生は神への賛歌となる。
神のみこころを悲しませるものに心を寄せてはならない。
あなたがそこから解放されるためであれば、神はそこに鉄槌を加えないわけにはいかないのである。
God Bless You!!
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