2022年7月8日(金)

2022年7月8日(金)


『あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。』ヨシュア記24章15節


意志あればこそ、全人格は活動を始める。

人は自ら意志を放棄することはできない。
私がすべきことは意志を放棄することではなく、意志を行使することである。
従う決意をするのも、神の御霊を受ける決意をするのも私なのである。

神から真理を示されると、神がこれから何をしようとしておられるかではなく、自分が何をしたらよいか、ということが問題となる。
主は私たちそれぞれに、何か大きな使命を与えておられる。

一番良いのは、以前、神があなたに触れたとき、自分がどう反応したかを思い出すことだ。
救われた時のこと、イエスに初めて出会った時のこと、あるいは何かの真理に目覚めた時のことである。

その時は、いともたやすく神に忠誠を誓ったはずである。
神の御霊が何か新しい使命を提示されたなら、以前、自分はどうしたかを思い出すことだ。

「あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。」

これは周到な決断のことであり、周囲に流されて至る結論のことではない。
あなたが決断をくだすまで、他の一切は保留状態となり、先に進むことができない。

使命とは、あなたと神の間で決めるものである。
したがって、「血肉に相談する」ことがあってはならない。

あなたに新しい使命が示されるたび、他の人はますますそこから遠ざかっていくものである。

そのような時、ストレスが押し寄せてくる。
神が、他の聖徒たちの意見も認めておられることは分かる。

ところが、自分がやろうとしていることを、他の人々が本当に分かっているのか、あなたはますます確信がなくなっていくばかりである。

しかし、神がどこへ導いていかれるのかをはっきり知る権利は、もともとあなたにはないのである。
そもそも神があなたに説明してくださるのは、ご自身がどういう御方か、ということだけなのだから。

ただ「私はあなたに忠実に歩みます」と、神に告白せよ。
イエス・キリストに対して忠実な者になる、と決断したその時、あなたは自分が自分に対する証人となったことを忘れてはいけない。

他のクリスチャンに相談するのではなく、「私はあなたに仕えます」と神の前で告白すればそれでよい。
これこそはあなたの意志による忠誠心の表明であり、そうできるのも同じ忠誠心を持つ人々がいたおかげである。

God Bless You!!


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