2022年6月5日(日)

2022年6月5日(日)


『主ご自身が……言われたからです。ですから、私たちは確信をもって言います。』ヘブル人への手紙13章5節、6節


私が何かを言うときは、神がこう言っておられる、ということが土台になければならない。

神は言われる。
「わたしは決してあなたを見捨てない」と。
すると、私は、「主は私の助け手。私は恐れない」と大胆に言うことができる。

不安や心配に悩まされることはないし、恐れに見舞われることもない、という意味ではなく、神が言われたことを忘れない、という意味である。

私のうちに勇気が漲るのは、ちょうど父親が設けた目標に到達しようと努力する子どもに似ている。
不安や心配が頭をよぎると、多くの人の信仰は揺らぎ出し、神が言っておられることを忘れてしまう。
いわば、霊的な深呼吸をすることを忘れるのである。

私たちの中から恐れを取り除く方法は、神がこう言っておられる、ということに耳を傾ける以外にはない。

あなたは何を恐れているのか。
あなたは臆病なわけでもなく、問題に直面する覚悟もできている。

それなのに、恐れが消えない。
何も当てにできず、だれにも頼れないように思えるときこそ、「しかし主は私の助け手だ。
今のこの状況においても」と、自分に語るべきである。

あなたは神の言われることをしっかり聞いてから、それを自分のことばにしているか、それとも、自分で何かを言った後、それを神のことばに合わせようとしているか。

御父がこう言っておられる、ということをしっかりとらえてから、「私は恐れない」と大胆に言えばよいのである。

どのような悪や間違いが道に立ちはだかっていようと、問題ではない。
なぜなら、「主ご自身が、わたしはあなたを見放さない」と言われたからである。
神が言われることと、私たちが言うことの間に入り込むもう一つの問題は、人間的な弱さである。

困難に直面して自分がどれほど頼りない存在かが分かると、困難は巨人のように、そして自分はバッタのように、そして神はどこにもおられないかのように思えてしまう。

そんな時こそ、「わたしはあなたを見捨てない」と、神が言っておられることを思い出すのだ。

あなたは神からの主旋律を聞いてから、自分もそれに合わせて歌っているか。
私たちはいつも「主は私の助け手です」と勇気を持って語っているか。

それとも、恐れに足がすくんでいるのだろうか。

God Bless You!!


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