2022年6月3日(金)

2022年6月3日(金)


『主の秘密は主を恐れる者とともにある。』詩篇25篇14節、英訳


友人のしるしとは何だろうか。

秘められた悲しみを打ち明けることだろうか。
そうではない。
密かな喜びを分かち合うことである。

秘められた悲しみをあなたに打ち明ける人は多いことだろう。
しかし、親密さの決定的なしるしは、他の人には言わない喜びを分かち合うことである。

神が何を喜んでおられるか、神に語っていただいたことがあるだろうか。
それとも自分の秘密を神に打ち明けるばかりで、神に語っていただく余裕がないのだろうか。

クリスチャン生活を始めたころ、私たちは神にお願いしたいことを山ほど抱えていた。
ところがそのうちに、神は私たちをご自身との親しい関係に導こうとしておられることに気がつく。

それは、私たちがみこころを親しく知ることができるようにするためである。

私たちは「あなたのみこころがなりますように」と祈られたイエス・キリストの祈りを自分の祈りとし、神の「秘密」を知っただろうか。

神が私たちにとって慕わしい存在となるようにしてくれるのは、神の特別で大きな祝福というより、むしろささやかな祝福である。
それによって、神の驚くほどのこまやかさが伝わってくるからである。

神は、私たち一人ひとりの生活の細部まで知っていてくださるのである。

「主はその人に選ぶべき道をお教えになる」

初めのうち、私たちは神に導かれているという感覚を求める。
ところが、進んでいくうちに、神を意識して生きることが当然のことになり、改めてみこころを尋ね求める必要を感じなくなっていく。

みこころ以外の道を選ぼうという思いが、そもそも起きてこないからである。

もし私たちが救われ、聖められた者であれば、神は、私たちが普通に選択することを用いて、私たちを導いてくださる。

もし神が望まれないことを私たちが選ぼうとすると、神はそれを抑制されるので、注意が必要である。
疑いが生じたときには、しようとしていることをただちにやめることだ。

「なぜこれをしてはいけないのか」と理屈を並べてはならない。
神は、私たちが選択するものを通して私たちを教えたもう。

つまり、私たちが何を常識とすべきかを導いてくださるのである。
そうすることによって私たちは「主よ、今度は、何がみこころですか」と絶えず問いかけて、神の御霊の邪魔をしないですむようになるのである。

God Bless You!!


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