2022年6月22日(水)

2022年6月22日(水)


『あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。』マタイの福音書7章2節


イエスがこのように述べられたのは、その場限りの説ではなく、神の永遠の法則である。
あなたが人をさばくなら、さばいたとおりにあなたもさばかれる、というのである。

復讐と応報には違いがある。
人生の根底には応報という法則がある、とイエスは言われた。

「あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです」と。

あなたが他の人の欠点を見つけるのに目ざとければ、全く同じことが、あなたに「報い」として返ってくることを忘れてはならない。
あなたが支払ったとおりの額があなたに払い戻されるのである。

この法則は、神が支配されるものすべてに及ぶ。
「あなたは 恵み深い者には恵み深く 全き者には全き方。
清い者には清く 曲がった者にはねじ曲げる方」と。

ローマ人への手紙2章はこの点をさらに詳しく説明し、他の人をさばく者は、それと全く同じことをしている、と言う。

神は行為だけを見ておられるのではなく、その罪を犯す可能性もご覧になっているのである。

そもそも私たちは、聖書がはっきり述べていることを、そのとおりに信じてはいない。
たとえば、私たちは他の人を批判するのと同じことを自分も行っている、と自覚しているだろうか。

他の人の心の中にある偽善や欺き、そして不真実さが透けて見えるのは、それらがもれなく私たち自身にもあるからである。

しかし聖徒は、謙虚さを一大特徴とする。
「そのとおり。
それどころか、神の恵みがなければ、その他もろもろの悪も、私は犯していたに違いありません。
ですから私には人をさばく権利などないのです」と認める謙虚さである。

イエスは言われる。
「さばいてはいけません。
自分がさばかれないためです」と。

もし、それでもあなたがさばくとしたら、それと全く変わらないさばきがやってくる。
私たちの中に、あえて神の前に立ち、「わが神よ。私が他の人をさばいたのと全く同じ基準で、私をさばいてください」と言える者がいるだろうか。

私たちはすでに、他の人々を罪人としてさばいてしまった。
もし神が同様におさばきになれば、私たちは地獄に行くほかはない。

しかし神は、イエス・キリストの驚くべき贖いを基にして、私たちをさばいてくださるのである。

God Bless You!!


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