2022年6月13日(月)

2022年6月13日(月)


『わたしに従って来なさい。』ルカの福音書18章22節


《個人としての願望に死ぬと、聖なる明け渡しが生まれる》
イエスのもとに来る際、最大の妨げになるものの一つに、自分の性格がそれに向いていない、という言い訳がある。

私たちはキリストのもとに来られないのを自分の性格や向き不向きのせいにしてしまう。
ところが、実際にイエスのもとに来てみてすぐに分かるのは、私たちの向き不向きを、イエスは全く問題になさらない、ということである。

私たちは、自分の能力を神に献げることができると思い込んでいる。
そもそも自分のものでなければ献げることはできない。

しかし、あなたが神に献げることのできるものが一つだけある。
それは自分自身に対して持つ権利である。

もしあなたが、自分自身に対して持つ権利を神に献げるなら、神はあなたを用いて聖なる実験を行われる。
神の実験がことごとく成功することは言うまでもない。

神の聖徒に伴う真のしるしは、イエス・キリストにすべてを明け渡した結果流れ出る、豊かな個性である。
聖徒の人生の背後には、この驚くべき源泉があり、そこから絶えずいのちが供給されているのである。

神の御霊は常に新鮮に湧き上がる泉である。

聖徒には、自分の環境を今のようにされたのが神であると分かっている。
それゆえに、いっさい泣き言を言わず、思い切ってイエスに身を任せるのである。

自分の経験をもとに(他の人が従うべき)原則を作ってはならない。
あなたの場合もそうであったように、神は他の人に対しても、全く新しい方法で働かれるからである。

イエスが「来なさい」と言われたとき、あなたがイエスに身を任せて従うなら、今度はあなたを通して他の人に「来なさい」と言い続けられる。

あなたは、「来なさい」というキリストの呼びかけを次々と繰り返しながら、世に出て行く。
これこそは、一切をなげうってイエスのもとに来た人だけがする経験である。

私はイエスのもとに来ただろうか。
先延ばしせずに、今、来ようとしているだろうか。

God Bless You!!


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