2022年5月9日(月)
『幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。』箴言29章18節
理想主義と神による幻には違いがある。
主義は私たちを正しい行動に駆り立てることはないが、幻は駆り立てる。
理想主義を熱心に主張する人が実際に行動を起こすことは稀である。
それどころか、自分が義務を怠っていることを正当化するために、神という概念を引き合いに出すこともあるくらいである。
預言者ヨナはこのような理屈を考えた。
神は正義とあわれみの神なのだから、たとえ自分が不従順でも、最後は丸く収まるだろう、と。
私の神に対するイメージは正しいかもしれないが、まさにそれこそが、自分の義務を果たさない理由になっていることもある。
しかし、神からの幻があるなら、どんな場合でも生き方が正されずにはいない。
幻は正しい行動へと私たちを駆り立てるからである。
理想主義は破滅への甘い誘いとなることもある。
自分を霊的に吟味して、はたして自分にあるものは単なる理想主義なのか、それとも幻なのかを確かめてみよ。
「人が目指すものは自分の理解を超えたものでなければならない。
そうでなければ、天国はいったい何のためにあるのだろう。」
(ロバート・ブラウニング)
「幻がなければ……。」
私たちは一旦神を見失うと、投げやりになり、良くないと分かっていることへの制約を振り払う。
祈ることを隅へ追いやり、小さな事柄に関する神の幻を投げ捨てていく。
要するに、すべてを自分で決めて行動し始めるのである。
もし私たちが自分本位にふるまい、神のご介入をいっさい期待せずに行動するなら、私たちはひたすら下降の道をたどっているのである。
幻を失っているのである。
きょうの私たちの姿勢は神の幻から発したものだろうか。
神が今までなしてこられたことよりも大いなることをなしてくださる、と私たちは期待しているだろうか。
霊的なことに関する私たちの考え方に、みずみずしさと活力があるだろうか。
God Bless You!!
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