2022年5月27日(金)

2022年5月27日(金)


『あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。』ルカの福音書24章49節


弟子たちは五旬節の日までエルサレムにとどまっていなければならなかった。
弟子たち自身が整えられるためというだけではなく、主が栄光をお受けになる、という歴史的な出来事を待つ必要もあったからである。

主が栄光をお受けになるやいなや、何が起きたか。

「ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです」とあるとおりである。

したがってヨハネの福音書7章39節に、「イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである」と書かれていることは私たちに当てはまらない。

聖霊はすでに与えられており、主はすでに栄光をお受けになっているからである。
私たちが待ち望むのは聖霊降臨という神の摂理ではなく、自分自身が霊的に整えられることである。

聖霊がもたらされる影響と力は五旬節以前にも明らかであった。
しかし、聖霊ご自身がそこにおられたわけではなかった。

ところが私たちの主が昇天されて栄光をお受けになるやいなや、聖霊は降臨され、そそれ以来ずっと世におられる。

私たちは、聖霊が今ここにおられるという啓示を受け入れなければならない。
聖霊を受け入れることは、信仰者が一貫して保つべき姿勢である。
聖霊を受け入れるとき、私たちは昇天された主から、新しいいのちを受けるのである。

人は、聖霊のバプテスマを受けることによってではなく、昇天されたキリストの力が聖霊によって注ぎ込まれ、変えられるのである。

私たちはとかく、新約聖書が全く区別していないものを区別しようとする。
聖霊のバプテスマとは、イエス・キリストと無関係に起こる経験ではない。
キリストが昇天されたからこそ起きるものである。

聖霊のバプテスマを受けると、永遠のことをのみ思うようになるわけではない。
驚くほど輝かしい現在のことに心が向けられるのである。

「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなた……を知ることです」。

主を本当の意味で知り始めるのは今である。
決してそれを途中でやめてはならない。

God Bless You!!


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