2022年5月22日(日)

2022年5月22日(日)


『父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。』ヨハネの福音書17章21節


もし今、あなたがひとり孤独の道を歩んでいるなら、ヨハネの福音書17章を読んでみよ。
そうすれば、なぜ自分が今の地点にいるのかが分かる。

つまり、イエスが、ご自身ばかりでなく、あなたも御父と「一つになるように」祈られたからである。

神がその祈りに答えられるように、あなたは協力しているだろうか。
それとも、あなたの人生には何か別の目的があるのだろうか。

弟子となったからには、あなたは以前のように、独立した存在でいることはできない。
神のみこころは、必ずしも私たちの祈りに答えることではなく、私たちが祈りによって神の御思いを悟ることであり、ヨハネの福音書17章はその点を明らかにしている。

神が必ず聞いてくださる祈りが一つだけある。
それは「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」という、イエスの祈りである。

私たちは、それほどにまでイエス・キリストと近い関係にあるだろうか。

神は私たちの計画について心配してはおられない。
「親しい者との死別、想定外の出来事を経験しても大丈夫か」と神が問われることはない。
むしろ、ご自身のみこころがなるために、そのようなことが起きるのを許されるのである。

私たちはそのような経験を通して、さらに優しく、温かく、気高い人間になることもあれば、もっと意地悪く、あら捜しをし、我を張る人間にもなる。

何かの出来事の結果、私たちはよこしまになることもあれば、もっと聖徒らしくなる場合もある。
それはひとえに、私たちと神との関係、およびその親密さの度合いによるのである。

もし私たちが自分の人生に関して、「あなたのみこころがなりますように」と祈るなら、私たちはヨハネの福音書17章から慰めと励ましを受けることだろう。

御父がご自身の知恵にしたがって働いてくださっている、と分かるからである。
神が何を求めておられるのかが分かると、私たちは狭量でひねくれた存在にならずにすむ。

イエスは、ご自身と御父と一つであるのと少しも変わらないほどに、私たちがご自身と一つになるように祈られた。

私たちはこの一体性に程遠いかもしれない。
しかし、私たちが実際に主と一つになるまで、神は私たちを見捨てられない。

「すべての人を一つにしてください」とイエスが祈られたからである。

God Bless You!!


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