2022年4月25日(月)

2022年4月25日(月)


『時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。』テモテへの手紙第二4章2節


時が悪い場合のほうがむしろ備えができている、というのは私たちの多くが経験する困った傾向である。
しかし、この場合の「時」とは、時間というより、私たち自身に関することなのである。

「みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くても、その備えをしていなさい」と、きょうの聖句は語る。

言い換えれば、私たちにその気があってもなくても、備えがなければならない、ということである。
もし気分が乗ったとき以外は行動を起こさないとすれば、永遠に何もしない人さえ出てくることだろう。

霊的な領域において、全く使い物にならない人がいる。
そのような人は霊的にひ弱で、超自然的な霊感でも受けないかぎり、何もしようとしない。

私たちと神との関係が正常であるかどうかは、霊感を受けても受けなくても、自分の最善を尽くすかどうかにかかっている。

クリスチャンの働き人を待ち受ける最悪の罠の一つは、霊感を受けた、という稀有な経験にとらわれることである。
神の御霊により霊感と洞察が与えられると、「このような経験をしたからには、神に対していつまでもこの状態が保てるだろう」と思いがちである。

ところが実際はそうならないどころか、神もまた、そうならないようにされる。
つまり、そのような至福の経験全体は、神からの贈り物だったのである。
その証拠に、あなたは自分の望むときにそのような経験を自らに与えることはできない。

そのように、例外的な場合でしか、神に最善を尽くせないとすれば、あなたは神にとってこの上ない足手まといとなってしまっているのである。
神からの霊感を常に意識させられないかぎり、あなたは何一つ行動を起こさないからである。

もし人生の至福の瞬間を神の代わりとするなら、神の存在はあなたの人生から次第に消え、神から与えられた最も身近な義務を果たすまで、そして例外的な至福の経験にこだわらないようになるまで、神があなたのところに戻って来られることはないであろう。

God Bless You!!


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