2022年3月29日(火)

2022年3月29日(火)


『あなたがたも用心していなさい。』ルカの福音書12章40節


クリスチャンの働き人にとって何よりも必要なのは、事あるごとにイエス・キリストに向き合う備えができていることである。
これは私たちが過去にどれほど経験を積んだとしても、たやすくできることではない。

この戦いの相手は罪や困難でもなければ、環境でもない。
務めに没頭しすぎて、イエス・キリストに、事あるごとに向き合えないでいる状態のことである。

これこそは急務である。

自分が何を信じているのか、何を信仰信条としているのか、あるいは、自分が主に役立っているかどうかに向き合うことではなく、主ご自身に向き合うということである。

私たちが予期する場所にイエスが来られることは稀である。
まさかここには来られないだろう、と思うところに主は姿を現される。
しかもいつも決まって、何の論理的必然性もないところに……。

働き人が神に忠実であり続けるためには、主の予期しない訪問に備える以外に方法はない。
大切なのは奉仕ではなく、事あるごとにイエス・キリストが来られることを期待する、真剣で確かな霊性である。
その姿勢があると、主が望まれる、子どものような驚きが私たちの人生に生まれる。

イエス・キリストの来訪に備えるためには、敬虔そうにふるまうことをやめなければならない。
すなわち、宗教的な敬虔を一種の高尚な文化とすることをやめ、霊的に実体のある者にならなければならない。

あなたが自分ではなく、イエスに目を注ぎ、今日の宗教界の呼びかけに応えず、主が望まれることだけに心を留め、みこころに沿って考えようとすれば、現実を知らない夢想家と呼ばれるようになるだろう。

しかし、主が日中の最も暑い時間に突然現れたら、備えがあるのはあなたをおいてほかにはだれもいない。
仮にも、イエス・キリストの姿をあなたから遮る人がいたら、信用してはいけない。
それがたとえ聖徒の中の聖徒であったとしても、無視しなければならない。

God Bless You!!


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