2022年3月24日(木)

2022年3月24日(木)


『あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。』ヨハネの福音書3章30節


あなたがだれかにとってなくてはならない存在になったとすると、神のみこころから外れてしまっている。
働き人としての大きな責任は、「花婿の友人」となることだからだ。

イエス・キリストがどういう御方か理解し始めた人がいたら、あなたによる感化が正しい方向に用いられたと分かる。

その人がひどい苦しみの中にいても、手を差し伸べて苦しみを阻止してはならない。
むしろ、その苦しみが十倍になろうとも、地上にも地獄にも、その人をイエス・キリストから引き離す力がなくなるまで祈るべきである。

ところが、私たちは性懲りもなく、神の摂理に自分が取って代わり、首を突っ込み、神の働きを妨害した挙げ句、こう言うのである。
「このような困難を負わせるべきではない」と。

こうなると、もはや私たちは花婿の友人ではないどころか、私たちの同情がかえってあだとなる。
その結果、かの日にその人は言うことであろう。

「あの人は盗人だった。
彼のせいでイエスに対する愛を失ったばかりでなく、イエスの姿を見失ってしまった」と。

間違ったことを一緒に喜ぶことのないように気をつけなければならない。
そして正しいことを喜んでいるか、確かめなければならない。

「花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。
ですから、私もその喜びに満ちあふれています。
あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」

このことばは悲しみではなく、喜びを込めて語られた。
ついに花婿に会える時が来たのである!

ヨハネは、これこそが私の喜びである、と言っている。
これはまた、働き人が表舞台から完全に消え去り、二度と人々の思いにのぼることはないということでもある。

相手の人生に語りかけておられる花婿の声に、全身全霊で耳を澄ませよ。
その声がどのような損失や困難、あるいは病をもたらしたとしても、全く気にする必要はない。
主の御声を聞くことができたなら、敬虔な興奮をもって喜べばよいのである。

イエス・キリストが一人の人生を救う前に、それを破綻させるのを、あなたはたびたび目撃することになるかもしれない。

God Bless You!!


a:35 t:1 y:0