2022年3月23日(水)

2022年3月23日(水)


『ねたみや争いや分派があるのですから、あなたがたは肉の人なのではないでしょうか。」コリント人への手紙第一3章3節


生まれながらの人は、肉の性質ということが全く分からない。
人が新生すると、肉性が御霊に戦いを挑み、御霊は肉性と戦うので、肉性がその正体を現す。

しかし、「御霊によって歩みなさい。
そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません」とパウロは言う。
つまり肉性は消えていくのである。

あなたは争い好きで、小さなことですぐ動揺する、ということはないだろうか。
「クリスチャンでそのような人がいるわけがない」とあなたは言う。
クリスチャンでもそのような人はいるし、それは肉性と関係している、とパウロは言う。

聖書の中に、あなたをたちまち腹立たしい思いにさせる真理が書かれてはいないだろうか。
そうだとすれば、それはあなたがまだ肉的であることの証拠である。

あなたが聖化されつつあるなら、そのような思いの痕跡もないはずだ。

神の御霊があなたの間違っている点を探り当てたとしても、それを正すように、とは言われない。
御霊はただ、真理の光を受け入れるよう、あなたに望むだけで、ご自身が正してくださるのである。

光の子なら、すぐに罪を告白し、神の前に何も隠さずに立つ。
ところが、暗闇の子は「そのことならちゃんと説明ができます」と言うのである。

光が差し込んで、間違いを自覚したなら、光の子になり、過ちを告白するのだ。
そうすればあとは神がその間違いに対処してくださる。
しかし、自分を正当化しようとするなら、自分が暗闇の子であると自ら証明するだけである。

肉性が消えたという証拠はどこにあるのだろうか。
自分を欺いてはいけない。
肉性がなくなることほど、はっきり自覚できることはないのだから。

そればかりではなく、神はこの恵みの奇跡が確かに起きたことを示す機会をいくらでもあなたに与えてくださるはずである。

実際の場面で試されたものだけが、証拠となる。

あなたは思わずこう言っていることだろう。
「以前だったら、このようなことがあれば恨んでいたに違いない」と。
あなたは神が心の内側にしてくださったことに対して、いつまでも驚かざるを得なくなることだろう。

God Bless You!!


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