2022年3月22日(火)

2022年3月22日(火)


『私たちの心は内で燃えていたではないか。』ルカの福音書24章32節


このように心が燃える秘訣を私たちは学ばなければならない。

イエスが突然私たちの前に現れると、炎が明るく輝き、素晴らしい幻が示される。
しかし、その後、どんな困難も乗り越えていくためには、燃える心を持続させる秘訣を学ばなければならない。

退屈で、代わり映えのしない、わびしく、平凡な日々が、日常の義務や人々との付き合いと相まって、燃える心を消してしまう。
イエスにとどまる秘訣を学ぶ以外に、それを回避する道はない。

クリスチャンとして経験する悩みの多くは、罪の結果というより、むしろ自分の性質を支配する法則について無知であることが原因である。

たとえば、ある種の感情をそのままにしておいてよいのかどうか知るためには、最後まで見届けるしかない。
論理的に考えて、結末がどうなるかを見ればよいのだ。
その結果、神がお咎めになるようなものなら、すぐさまその感情にストップをかけなければならない。

しかし、神の御霊によって燃やされた感情であるのに、その発現の機会をしっかりとらないと、神が意図されたものではない低次元の反応が起きてしまう。

非現実的で、過度に感傷的な人はこうして生まれる。
しかも、感情が正しく作用しない場合は、感情が高じれば高じるほど、落ち込み方はひどくなる。

神の御霊があなたの心を奮い立たせたなら、後になって取り消しのできない決断を、可能なかぎりしておくことだ。
その結果はなるようになればよい。

私たちは、いつまでも「変貌山」にとどまって、山頂の経験という光に浴し続けることはできないのだ。
むしろ、私たちはそこで受けた光に従い、それを行動に移さなければならないのである。

神が幻を示してくださったなら、どんな代償を払っても、そのときに神との「取引」をすませておかなければならない。

好む時に灯すことはできない 心に宿す炎を
霊は風のごとく吹き またやむ
たましいは 神秘の中にとどまったまま
しかし 心が照らされた時に志した任務なら
暗い時を経て 成し遂げられる時がやがて来る
*マシュー・アーノルド(1852年)

God Bless You!!


a:40 t:1 y:0