2022年2月6日(日)
『私はすでに注ぎのささげ物となっています。』テモテの手紙第二4章6節
自分がささげ物として注ぎ出されてもよい、という覚悟があなたにあるだろうか。
それは、意志による行動であって感情的なものではない。
「私はささげ物となる覚悟があります」と神に告げよ。
そして、神があなたにどんな結末をもたらそうとも、いっさい不平を言わず、その結果をあるがままに受け入れよ。
だれも助けてはくれない、という危機の中を、密かに神はあなたに通らせる。
外側から見れば、あなたの生活は何も変わっていない。
しかし、あなたの意志においては変化が起きている。
ひとたび、このような意志の危機を経験すると、外面的な危機が訪れても、その損失が全く気にならなくなる。
そのように、意志によって神と「取引」するのでなければ、結局は自己憐閥に陥るだけである。
「いけにえを網で祭壇の角に縛りつけよ」。
祭壇は火、すなわち焼き、清め、分離することを意味するが、その目的は一つしかない。
それは神から出たのではないあらゆる好み、また愛着を取り除くためである。
あなたが取り除くのではない。
神が取り除いてくださるのである。
あなたのすべきことは「いけにえを祭壇の角に縛りつけ」、火がつけられたら、自己憐憫に陥らないようにすることである。
このようにして火がつけられれば、もはやあなたを困らせ、落ち込ませるものは何もない。
たとえ新たな危機が訪れても、以前のように物事によって動じることがなくなっている。
あなたが通るべき火は何か。
「自分をささげる用意ができました」と神に告げよ。
そうすれば、神は、あなたが夢にまで描いたとおりの御方であることを証明してくださる。
God Bless You!!
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