2022年2月20日(日)
『立ちなさい。さあ、ここから行くのです。』ヨハネの福音書14章31節
適切に事をなそうとして、夢想することは正しい。
しかし、いざ行動に移すべき段になって夢想にふけるのは間違っている。
この箇所で、多くの幸いなことを弟子たちに語られた主は、弟子たちがそれぞれ、主が語られたすべてについてじっくり考えるように命じられた、と私たちは思ったかもしれない。
ところがイエスは、いたずらに夢想することは断じてお許しにならなかった。
私たちの目的が、神と神の自分に対するみこころを求めることであるなら、夢想することは正しく、容認できる。
しかし、すでに何をするべきか命じられたにもかかわらず、まだ夢想にふける傾向が私たちにあるなら、それは悪しきことであるばかりか、神の祝福がその上にとどまることは決してない。
このような夢想にストップをかけるために、神は私たちに、突き刺すような痛みを与えられる。
「そこに座るな、そこに立つな、行け」と命じる痛みである。
さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい」と主が語られた後で、私たちが静かに神を待ち望むなら、それは、みこころを求めるための黙想の時となる。
けれども、神がすでに語られたことについて、あれこれと夢想し続けることのないように注意が必要である。
主に、すべての夢、喜びの源となっていただくがよい。
けれども、主が語られたことに従って行動することを忘れてはならない。
もしあなたがだれかを愛しているなら、ただ座ってその人のことを四六時中夢想しているだけだろうか。
行動を起こし、その人のために何かをするはずである。
それこそは、イエス・キリストが私たちに期待しておられることである。
神がお語りになっても、まだ夢想にふけっているなら、それは私たちが神を信頼していないしるしである。
God Bless You!!
a:41 t:1 y:0