2022年12月31日(土)
『あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。』イザヤ書5章12節
《過去からの安心》
「神は過ぎてしまったことに対して責任を求められる」。
一年の最後を迎え、私たちは神がこれからなそうとしておられることに期待を膨らませる。
ところが、過ぎ去った日々のことを考えると、心配で心が沈む。
過去の罪や失態を思い出すたびに、今、喜び楽しんでいる神の恵みも色あせてしまう。
しかし神は、私たちの過去の日々においても神であられるのだ。
神が私たちの過去の記憶を消さずにおられるのは、これからの私たちの霊的な成長に役立てようとのお考えからである。
神が過去を思い出せられるのは、私たちが現在を安穏と過ごさないようにしてくださっているからなのである。
《明日に対する安心》
「主があなたがたの前を進む」
……これは何という恵みの啓示であろう。
私たちがかつて失敗したところに、神ご自身が駐留してくださる、というのである。
神は絶えず見張りをし、私たちが同じ失敗でつまずき転ぶことがないようにされる。
もし主が私たちの「しんがり」となってくださらなければ、私たちは間違いなくまた転んでしまうことであろう。
そればかりか、神の御手は過去にまで伸ばされ、私たちの良心を苛む「請求」をすべて「決済」してくださる。
《きょうに対する安心》
「あなたがたは慌てて出なくてもよい。」
新しい年に踏み出すにあたって、衝動的に、また性急に行動しないように気をつけよう。
束の間の楽しみに浮かれないようにしよう。
咄嗟の無分別な考えで事を決めないようにしよう。
むしろ、イスラエルの神が私たちの前を進んで行かれることをわきまえ、忍耐強さをもって出発しよう。
過去の日々の失敗は、そのままであり、もはや元には戻せない。
逃してしまった機会は二度と戻って来ないのが現実である。
しかし神には、この破壊的な心痛を、将来に対する建設的な思慮深さに変えることができるのである。
過去は眠らせておこう。
キリストの愛の胸の中に……。
もはやどうにもならない過去、取り消すことのできない過去は御手に預けておけばよい。
そして、主とともに歩む勝利の未来へと踏み出していこう。
God Bless You!!
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