2022年12月27日(火)
『イスラエルよ、もし帰るのなら、——主のことば——わたしのもとに帰れ。』エレミヤ書4章1節
私たちの戦いの勝敗が最初に決するのは、神の御前における自分の意志という密やかな戦場であって、決して人に見えるところではない。
私は神の御霊に捕らえられ、御前にただ一人で戦い抜かなければならない。
こうしなければ、毎回敗北が待つのみである。
この戦いは一分ですむこともあれば、一年かかる場合もある。
どうなるかは神ではなく、私次第である。
それを神の御前においてひとりでやり遂げなければならない。
また、御前で決然と自分の権利を放棄するという修羅場を通らなければならない。
しかしその戦いに勝った者には、もはや何ものも手を出すことができないのである。
「そのような状況になってからでも遅くはない。
その時になったら神がどうされるか試してみよう」と言ったところで、うまくいくことはない。
私は、だれからの妨げもない、たましいの密やかなところで、私と神との間で片をつけなければならない。
それがすんでこそ、戦いに勝ったという確信をもって進むことができるのである。
しかし、そこで戦いに負けると、悲嘆と不幸、挫折は神の定めのように確実にやってくる。
戦いに勝てなかった原因は、人に見えるところで勝とうとしていたからである。
神と二人だけになり、御前で戦い、最終的な結着をつけるのだ。
人々と関わる際にも、意志の問題として決めることができるように退路を断つことを基本姿勢とすべきである。
そのようにして神への明け渡しが始まるのである。
頻繁でないにしても、神はときとして人生の一大分岐点に私たちを伴われる。
そこから私たちは、ますます不活発で、怠惰な、そして何の役にも立たないクリスチャン生活か、または、ますます霊に燃え、主の限りない栄光のために自分の最善を献げる生活のどちらかへ向かうのである。
God Bless You!!
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