2022年12月20日(火)

2022年12月20日(火)


『わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。』ヨハネの福音書12章32節


イエス・キリストがなぜ死んでくださったのか、その理由が少しでも分かっているという人はほとんどいない。

もし人間にとって必要なものが同情だけであるなら、キリストの十字架は下手な芝居であり、十字架にかかる必要はどこにもなかったということになる。

しかし、この世界に必要なのは人々がよく歌うような「ほんの少しの愛」などではなく、大がかりな外科手術なのである。

霊的な混迷の中にいる人と出会ったら、十字架上のイエス・キリストを思い出すことだ。
もしその人が十字架以外の方法で神にたどり着けるなら、イエス・キリストの十字架は無用である。

同情や理解で人々を助けていると思うなら、あなたはイエス・キリストを裏切っているのである。
まずあなた自身が神と正しい関係を持っていなければならない。

その次に、人間的な方法ではなく、神の方法にしたがって他の人を助けるために自分のいのちを注ぎ出すことだ。
今日、宗教で最も大切なことは、感じが良く、押しつけがましくないこととされているが……。

私たちにとって優先すべきただ一つのことは、十字架につけられたイエス・キリストをはっきり示し、常にイエス・キリストを高く掲げることである。

キリストの十字架に根ざさない信条は、やがて人々を迷わせることになる。

しかし、働き人自身がイエス・キリストを信じ、贖いを現実のこととして、そこにすべてを賭けているなら、そのことばを聞く人はもはや無関心ではいられない。

いつまでも残り、深まっていくべきものは、働き人とイエス・キリストとの真っ直ぐな関係である。
神に役立つかどうかは、すべてその一事にかかっているのである。

新約聖書が教える働き人の役割とは、罪の正体を明らかにし、イエス・キリストを救い主として示すことである。

それゆえに現実離れしているわけにはいかない。
大がかりな手術に臨む医師のような厳しさが求められているのである。

私たちが神に遣わされたのは、イエス・キリストを高く掲げるためであって、うっとりするようなスピーチをするためではない。

私たちは、神が心の奥深くまで私たちを探られたように、人の心の奥深くにあるものを知るのをためらってはならない。

それだけでなく、相手に真理が伝わるようなみことばとは何かを敏感に察知し、それらを恐れずに適用できる者でなければならない。

God Bless You!!


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