2022年11月8日(火)

2022年11月8日(火)


『私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。』ローマ人への手紙8章26節


祈るための力は聖霊から来ている、ということが私たちには分かっている。
また御霊によって祈るとはどういうことかも知っている。

しかし、ことばには言い表せない祈りを、聖霊ご自身が私たちの中で祈ってくださるということには、それほど気づいていない。

私たちが神によって新生し、神の御霊が内住されると、御霊は私たちのために、ことばで言い表せないことを表現してくださるのである。

あなたのうちにおられる御霊は、「神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださる」。

神があなたの心を探られるのは、あなたの意識に上る祈りを知るためではなく、聖霊による祈りの内容をお知りになるためである。

神の御霊はとりなしの祈りをささげる宮として、信じる者の存在を必要とされる。
まさに「あなたがたのからだは、……聖霊の宮」なのである。

イエス・キリストが宮を清められたとき、「だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった」。
神の御霊もまた、あなたが自分の都合に合わせて自分のからだを使うことをお許しにはならない。

イエスは、宮の中で売り買いをしていた人すべてを情け容赦なく追い出して、こう言われた。
「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。
それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった」と。

自分のからだが聖霊の宮であることに私たちは気づいているだろうか。
もしそうであるなら、聖霊のために、その宮が汚されないよう注意を払うべきである。

自分の意識に上る生活は、私たちの全人格からすると、ほんの一部分にすぎないが、聖霊の宮として私たちが認識しなければならないものである。

私たちには全く分からない無意識の部分については聖霊が責任をもってくださる。
しかし意識できる部分については注意を怠らずにそれを見守らなければならない。
その部分に関しては私たちに責任があるからである。

God Bless You!!


a:16 t:1 y:0