2022年11月7日(月)

2022年11月7日(月)


『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』ローマ人への手紙8章28節


聖徒が置かれる境遇は、神によって定められている。
したがって、聖徒の人生に偶然というものはない。

神はその摂理により、あなたには全く理解できなくても、神の御霊が理解しておられる境遇にあなたを導かれる。

神があなたを様々な場所、人々、そして状況へと導かれるのは、あなたのうちにおられる御霊が、それぞれの固有の状況に即してとりなしをしてくださるためである。

「ここは自分自身が摂理の代行をさせてもらう。
私が、あのことを注意深く見守り、このことから自分を守る」と言って、置かれた状況より先走ることは絶対にしてはならない。

あなたの周辺に起きる出来事はすべて神の御手の中にある。
だから自分がこのような状況に置かれるのは理に合わない、と思ってはならない。

とりなしの祈りにおけるあなたの役割とは、とりなすことの苦しみを経験することではなく、神があなたを置かれた日々の状況や、神の摂理によって出会わせてくださった人々に関する事柄を神の御座に携え行き、あなたのうちにおられる御霊のとりなしにゆだねることである。

このようにして神はご自身の聖徒たちを用いて世界の隅々まで影響を与えようとしておられるのである。

この点が曖昧なため、あるいは聖霊の働きを代行しようとして、私は聖霊の働きをやりにくいものにしてはいないだろうか。

私がしなければならないのは、人間の側からのとりなしである。
つまり、私が置かれている状況や、私が接する人々に関わるとりなしである。

そのためには、自分が聖霊の宮であるという意識を常に持っていなければならない。
そうすれば、いろいろな人のことを神の前に申し述べるとき、聖霊がその人々のためにとりなしをしてくださるのである。

あなたがするべきとりなしの祈りを、私が代わりにすることは決してできないし、私がするべきとりなしの祈りも、決してあなたに代わってもらうことはできない。

しかし、御霊ご自身は、私たちそれぞれの生活の中でとりなしをしてくださるのである。
もしそのとりなしの祈りがなければ、霊的貧困の中に置き去りにされてしまう人が出ることだろう。

God Bless You!!


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