2022年11月23日(水)

2022年11月23日(水)


『あわれんでください 主よ あわれんでください。私たちは蔑みでいっぱいです。』(詩篇123篇3節


神への信仰が損なわれることより、むしろクリスチャンとしてあるべき心の状態が損なわれることに、私たちは警戒しなければならない。

「あなたがたは自分の霊に注意せよ。
裏切ってはならない」とあるように、私たちの心の状態がもたらす影響は侮れない。

それは私たちのたましいに浸透し、私たちの思いを神から逸らせる敵である。
その中には、決して見くびってはならないものがある。

放っておくと、気がついたときには信仰の焦点が合わなくなり、神の前に静まる時を取り戻す時まで、私たちの信仰は無力となり、肉的な自信と、人間的な創意工夫が幅を利かせる生活に陥ってしまう。

「この世の思い煩い」に警戒せよ。
たましいに誤った態度を取らせる原因だからである。

ごく単純なことなのに、私たちの目を神から逸らす、とんでもない力が潜んでいるのは信じがたいほどである。
「この世の思い煩い」で忙殺されることは断固拒否しなければならない。

私たちを神から引き離すもう一つの問題は、自分の正当性を主張しないではいられない欲求である。
聖アウグスティヌスは祈った。

「主よ。
身の潔白を証明しないではいられないというこの欲求から私を解放したまえ」と。
そのような心の状態は、神への信仰を破壊しかねないものである。

「自分の気持ちを説明しなければならない」とか、「みんなに理解してもらわなければならない」と言うようであってはならない。

私たちの主は一度も釈明されたことはない。
人々の誤解は、誤解と分かる時まで放っておかれたのである。

他のクリスチャンが霊的に成長していないと察知し、それが批判に変わるなら、私たちと神との交わりは壁に突き当たる。

神がそのように気づかせてくださったのは、私たちが批判するためではなく、とりなしをするためだからである。

God Bless You!!


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