2022年11月12日(土)
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』コリント人への手紙第二5章17節
自分のたましいが救われるとはどういうことであると、あなたは考えているだろうか。
救いを経験するというのは、あなたの実生活の様相が一変し、もはや以前のようなものの見方をしない、ということである。
あなたの願望は一新され、古いものは魅力を失った。
救いの経験の真偽を知る試金石の一つは、あなたにとって本当に重要なものが神によって一新されたかどうかである。
もし今もまだ以前のものに相変わらず未練があるなら、新生ということを話題にすること自体がばかげている。
あなたは自分を欺いているのである。
もしあなたが新生を経験したなら、神の御霊によってあなたの実生活やものの考え方に明確な変化が起きているはずである。
そして危機が訪れたとき、自分に起きた変化の素晴らしさに一番驚くのはあなた自身である。
その変化の原因が自分にあるとは想像することさえできない。
この完全にして驚くべき変化こそ、あなたが救われている何よりの証拠である。
私が救われ、聖めにあずかったことによって、どのような変化が起きたか。
たとえば、コリント人への手紙第一の13章による愛の定義の光の中に私は立てるだろうか。
それとも苦しい言い逃れをしなければならないだろうか。
聖霊によって私のうちに展開される救いは、私に完全な解放をもたらしてくれるものである。
そして「神が光の中におられるように」私も「光の中を歩んでいる」かぎり、神にとって咎めるべきものは何一つない。
神のいのちが、私の意識のみならず、潜在意識を含め、あらゆる細部に働いているからである。
God Bless You!!
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