2022年11月10日(木)

2022年11月10日(木)


『キリストの福音を伝える神の同労者。』テサロニケ人への手紙第一3章2節


聖化されてから、人生で何を目指すべきかを明確に述べることは難しい。
神が聖霊によってあなたをご自分の目的の中に、すでに組み込んでしまわれたからである。

神は、御子を私たちの救いのために用いられたように、世界のどこであろうと、あなたをご自身の目的のために用いられる。

もしあなたが自分のために大きなことを求め、「神が私を召されたのは、このためであり、あのためである」と考えるなら、神に用いられないように障壁を築いているのと変わらない。

自分にしかできないことをしてみたいという思い、また失いたくない野心があるかぎり、あなたは神が関心を持たれることに自分を一致させることはできない。

それができるためには、自分がしたいと願うことを、きれいさっぱり捨て去り、神が世に対して持っておられるご目的そのものの中へ導いていただくしかない。

そして進むべき道が主の道であるがゆえに、自分の進むべき道を理解することは決してできないのである。

人生の目的は、私が決めるものではなく、神がお決めになるものであることを、私は学ばなければならない。
神はご自身の崇高な視点のもとに、私を用いようとしておられるのである。

私に求められているのは、ただ主に信頼し、「主よ、これは私にとってとてもつらいことです」と弱音を吐かないことだけである。
そのようにつぶやけば、私は他の人のつまずきになってしまう。

自分の望みを訴えるのをやめると、神はようやく、何の妨げもなしに、みこころを私のうちに行うことができるようになる。
神には私を潰すことも、高めることも、あるいはそのほかにどんなことも、思いのままに行うことができる。

神が私に望んでおられるのは、神ご自身に、そして神の善意に絶対的な信頼を持つことだけである。

自己憐憫は悪魔に属する。
その中に浸っているかぎり、この世で神のご目的のために用いられることはありえない。

ぬくぬくとした「自分だけの世界」にいれば、「凍傷」になることを恐れる私を、神といえども動かすことはできないのである。

God Bless You!!


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