2022年10月8日(土)

2022年10月8日(土)


『わたしのもとに来なさい。』マタイの福音書11章28節


イエスのもとに行かなければならない、と言われると私たちのプライドが傷つかないだろうか。

こんなことでイエス・キリストのもとに行くものか、ということをいくつか思い浮かべてみよ。
もしあなたに現実が本当に見えているかどうか知りたいなら、「わたしのもとに来なさい」というみことばで、自分を試してみるとよい。

現実が見えていないと、一歩進むごとに、あなたは異議を唱え、イエスのもとに行こうとせず、要点をはぐらかす。

イエスのもとに行くくらいなら、どんな悲しみにも耐える。
「ありのまま」〔*Just as I am. 讃美歌「いさおなき我を」の冒頭の句〕行くくらいなら、代わりにどんなことでもするものを、とあなたは思うことだろう。

このような横柄な気持ちがほんの少しでもあるとすれば、何か大きなことを神に命じられたならそれをしたのに、という思いがあなたにあったことは明白である。

ところが、神はただ「来なさい」とおっしゃるだけなのである。

「わたしのもとに来なさい。」

このことばを聞けば、行く前にすませておくべきことがあると気づくはずである。
聖霊は、あなたが主のもとに行くことを妨げているものを根こそぎにするために、あなたがすべきことを示してくださる。

その肝心なことをする覚悟が決まらないかぎり、あなたは一歩たりとも前に進むことはできない。

聖霊は、あなたの内側に潜み、その難攻不落の砦のありかを突きとめてくださる。
しかし、聖霊といえども、あなたの許可なくしてはそれを一寸たりとも動かすことはできないのである。

あなたは今まで何度、願い事をもって神のもとに来て、「今度こそは聞かれた」と思って、帰って行ったことであろう。
ところが実際、あなたは手ぶらで帰ったにすぎない。

神は両腕を広げてあなたを抱こうと待ち、あなたが神ご自身を抱くのを待っておられたというのに。

「わたしのもとに来なさい」というみことばに表れた、イエスの不屈で、あきらめず、疲れを知らないご忍耐を考えよ。

God Bless You!!


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