2022年10月27日(木)

2022年10月27日(木)


『ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。』マタイの福音書28章19節


イエス・キリストは、「行って、たましいを救いなさい」とは言われなかった。
たましいの救いは人知を超えた神のわざである。

「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われたのである。
しかし、もしあなた自身が弟子でなければ、どうして弟子をつくることができるだろうか。

弟子たちは最初の伝道旅行から戻ったとき、悪霊までも自分たちに従った、と言って大いに喜んでいた。
しかし、イエスが言おうとされたのはこうであった。

「奉仕が成功したことを喜んではいけない。
あなたがたがわたしと正しい関係にあることにまして、大いなる喜びの秘訣はない」と。

宣教者に欠かせない要件とは、神の召しに忠実であること、そして、自分に課せられた唯一の目的が、人々をイエスの弟子とすることにある、と自覚していることである。

たましいへの情熱があるといっても、それが神に発するものではなく、自分の考えに喜んで同調する人を増やしたい、という願いから来ている場合もあるからだ。

宣教者が直面する課題とは、人を救いに導くのが難しいとか、また信仰を捨ててしまった人を回復させるのが難しいとか、あるいは無関心という壁を突き破ることができないということではない。

宣教者自身が自分とイエス・キリストとの個人的な関係をどのように見ているかということである。

「わたしにそれができると信じるのか」と主は常に問いかけられるので、どのような場合においてもその問いに直面することになる。

私たちに対する大きな課題は次のようなものである。

私はよみがえられた主を知っているか、私は自分のうちに住まわれる主の御霊の力を知っているか、神の目には知恵ある者であり、この世の知恵から見ると、イエス・キリストが言われたことにすべてを賭けるほどに「愚か」であるだろうか、それとも、キリスト・イエスに無限の信頼を置くという、宣教者だけに与えられた、偉大で人知を超えた立場を放棄しようとしてはいないか……。

どんな方法であれ、もし他のやり方に従うなら、「わたしにはすべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って……」と主が定められた方法から、私は完全に離れてしまうことになる。

God Bless You!!


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