2022年10月18日(火)

2022年10月18日(火)


『彼らは御名のために、……出て行ったのです。』ヨハネの手紙第三1章7節


主を愛する愛は主の問いかけに応じておのずと現れる、と主は言われた。

「あなたはわたしを愛していますか。
それならわたしの羊を飼いなさい」というように……。

主は「わたしが人々に対して持つ関心をあなたも共有せよ」と言っておられるのである。
「あなたが人々に対して持つ関心はわたしも共有している」ということではない。

コリント人への手紙第一13章4節から8節には、この愛の特徴が示されている。
神の愛がおのずとどのような形に現れるものかが書かれている。

イエスを愛する私の愛が本物かどうか試すには、実際的な事柄一つで十分なのであり、それ以外はすべて感傷的なおしゃべりにすぎない。

イエス・キリストに対する忠誠心は、聖霊による超自然的な贖いのみわざが私のうちに生み出されたものである。
聖霊によって、神の愛が私の心に注がれたのである。

その愛が影響力を発揮し、私が接する人にそれが伝わる。
その愛のおかげで私は主の御名に忠実であり続けることができる。

たとえ人々が常識的な知識をもとに、キリストの言っていることは嘘だ、キリストには朝もやほどの力もないと宣言したとしても……。

宣教する者としての働きに専念する秘訣は、私たちの主ご自身以外に心惹かれる人物も物も持たないことである。
それは、単に世と隔絶して生きる、ということではない。
私たちの主は、日常的な事柄に驚くほど精通しておられたが、内面的には、神以外のものに対して分離しておられた。

世と隔絶する生き方とは、この世のものに対して無関心を装いながら、内心では愛着の思いを捨てきれないでいる場合が少なくない。

宣教者の義務は何かといえば、自分のたましいを完全に開き、いつも主イエス・キリストのご性質の受け皿とすることに集中することである。

主が新しいご計画のために派遣するのは、ごくありふれた人々である。
しかし、主に対する献身の思いに突き動かされ、聖霊の働きを受けてきた人々なのである。

God Bless You!!


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