2022年10月14日(金)

2022年10月14日(金)


『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」』マタイの福音書28章18節、19節


福音宣教をする最も基本的な理由は、イエス・キリストがその権威によってそのようにお命じになったからであり、神を知らない人々の必要に応えるためではない。

私たちは主を、私たちが主のために立てた計画を援助してくださる方として見ることが多い。
ところが主はご自分を、弟子にとって絶対的で最高の権限を持つ主という立場に置いておられる。

主は、私たちが出て行かなければ、神を知らない人々は滅びてしまうと言わず、「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われただけである。

つまり、すべてにまさる権威がイエスに与えられたという啓示を根拠とし、主との生きた経験をもとに教え、福音を説きなさい、と言っておられるのである。

「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った」。

もしキリストの主権が世界のどこでも通用するかどうか知りたいなら、まず私自身がキリストを知り、キリストと二人だけになることを学ばなければならない。

そして、私がその御名をもって呼ばれる御方を礼拝する時を聖別しなければならない。

イエスは「わたしのもとに来なさい」と言われた。
そこがイエスとお会いする場所である。

どれだけ多くの宣教師が、あなたと同様に疲れ、重荷を負っていることだろう.
世界の主権者として崇められるべき御方のこの素晴らしい約束を、私たちは個人伝道の場では語っておきながら、自分自身には関係ないものとして退けている。

しかし、このみことばは、イエスが弟子たちに向かって語られたものなのである。

「ですから、あなたがたは行って……。」
「行く」というのは、一言でいえば、そこに住むことである。

使徒の働き1章8節には、どのようにして行くのかが書いてある。
イエスは、「エルサレム、ユダヤ、サマリアに行け」と言われたのではなく、「これらすべての場所においてあなたがたはわたしの証人となる」と言われた。

私たちが行くための備えは、主が引き受けてくださる。
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら……。」

これがそれぞれの生活において前進を続ける秘訣である。
どこに置かれようが、それは気にするべきことではない。
どこに行くべきか、導いてくださるのは神だからである。

「私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」とパウロは言った。

これこそ、私たちがこの地上の生を終えるまで前進を続ける秘訣である。

God Bless You!!


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