2022年1月9日(日)

2022年1月9日(日)


『あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、……責められるところのないものとして保たれていますように。』テサロニケ人への手紙第一5章23節


「あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが……」とあるが、聖霊の偉大で霊妙な働きは、私たち自身には手の届かない、人格のほの暗く奥まった領域まで及ぶ。

詩篇139篇の作者が暗に述べているのは、次のことである。

「あなたは早朝の神であり、深夜の神、
山頂の神であり、海の神であられます。
しかし、わが神よ、私のたましいは、
陽の昇る地平線よりも遠く、
大地に臨む夜よりも暗く、
どの山々の峰よりも高く、
どの海よりも深いのです。
これらすべてのものの神であられる主よ、
どうぞ私の神となってください。
私には、高さも深さも極めることができません。
私自身にもわからない、隠れた思い、
私には到達できない夢があります。
わが神よ、どうぞ私を徹底的に探ってください。」

神は私たちが到達できないところまで、私たちの思いの広がりを守ってくださる、と私たちは信じているだろうか。

「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」とあるが、もしこの聖句が、意識できる経験に限定されている、と思っているのだとすれば、どうか神が私たちをあわれんでくださるように。

罪によって良心の痛みさえ感じなくなった人でも、自分には罪の自覚がないと言うからである。
しかし、私たちが経験する罪からのきよめは、霊の高みから深みにまで及ぶ。

もちろんそれは「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩み」、イエス・キリストのいのちを養われた御霊が、私たちの霊のいのちをも養ってくださる場合のことである。

私たちが、聖霊の途方もない聖さをもって神に守られて初めて、私たちの霊、たましい、からだのすべては、汚れなき真実のうちに保たれ、神の御前で責められるところのない者としてイエスの来臨を迎えることができる。

このように偉大で壮大な神の真理に、もっと思いを巡らせるべきであるのに、私たちはそうしていないのである。

God Bless You!!


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