2022年1月3日(月)

2022年1月3日(月)


『雲と暗黒が主を囲み 義とさばきが御座の基である。』詩篇97篇2節


神の御霊によって新生していない人は、イエスの教えは単純そのものだ、とあなたに言うことだろう。
ところが、聖霊によるバプテスマを受けると、「雲と暗黒が主を囲んでいる」ことに気がつく。

私たちがイエス・キリストの教えに近くで接するようになると、そのような側面があることが初めて分かる。
イエスの教えが理解できるとすれば、内側におられる神の御霊の光による以外に方法はない。

慣れ親しんだ習慣としての宗教という履き物を脱ぎ(履き物を脱ぐという行為は「服従」を表す)、神に対する軽率な態度を捨てた経験を私たちが一度もしていないとすれば、そもそも神の御前に立てたかどうか疑わしい。

神にふさわしくない、なれなれしい態度で神に近づこうとする人は、いまだイエス・キリストと出会ったことのない人である。

ところが、イエス・キリストがなしてくださることの素晴らしさに気がつき、驚くべき喜びと自由を経験した後に、イエスとはそもそもどういう御方なのだろう、という深い「暗黒」がやって来るのである。

「わたしが今、あなたがたに話していることば……『話したことば』ではない……は、霊であり、またいのちです」とイエスは言われた。

かつて聖書は私たちにとって、多くのことばが書かれた書物にすぎなかった。
つまり、「雲と暗黒」であったのである。

ところが、突然、それらのことばが霊となり、いのちとなった。
それぞれの具体的な状況の中で、イエスが私たちによく分かるように新しく語り直してくださったからである。

神はこのようにして、幻や夢によってではなく、みことばによって私たちに語ってくださる。
人が神のもとに行くことができるのは、ことばという最も単純な方法によるのである。

God Bless You!!


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